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下町の顔
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★ミッキーマウスとか子どもが言ったらすぐに作るんですか?
ミッキーマウスは版権の問題でできない。それに食紅の黒がないんですよ。黒は製造禁止で紫を使っているの。最初から黒は使わないでくれって保健所から言われている。クロに見せた紫。だからミッキーマウスの感じを出せない。黒を使っている人は許可が出ていないのにどうしているかな。でもまあ青をまぜれば黒にならないこともないけどね。

キャラクターのあめ細工
★レパートリーはどのくらいありますか?
わかんないなぁ。3日やっても終わらないんじゃない(笑)。お客さんが考えるんだよ。俺が考えるんじゃないから。

★何でもできちゃうんですね?
なんでもできるよ。お客さんが難しいのは俺には優しいのが多いんだよ(笑)。昔はね、何年生まれ?ってお客さんに聞いて作ったから十二支がほとんどだったけど、今は子ども相手のキャラクターも多いからね。子どもたちは目を丸くしてみているよ。ハンカチにいろいろな絵があるでしょ。絵だから後ろ側がないでしょ。後ろ側がないと作れないよというと今度はかばんの中から本物出してこれだよってね。

★子供はその出来上がったキャラクターものを食べちゃうんですか?
食べちゃうね(笑)。あめだって分かってるからね。一人が食べ始めるとみんななめているよ。そうすると大人が今度来るよ。うちの子、普段はあめ食べないけど食べている。どんな味がするんだって。一つ持っていくとまた来る。砂糖が入っていないから味が薄くって飽きないんだと思うよ。

★注文制作ですね?
ある程度は置いておかなければ分からないから見本に置いてあるけど、それは売らない。これと同じものと言われても目の前で作って渡すからね。

★ところでこういう業種って良くわからないんですけど、親方とか後継者とかは?
あめ細工だけでは食っていけない時代なんじゃないかな。うちは息子が継いでいるけどね。特に団体もないしね。昔は吹いて作ったからその名残でうちは葦を使っているけど、みんなは割り箸かストローでしょ。今、葦を使ってやらせたら力任せにやるから折れちゃうよ。それにもう葦がないでしょ。うちだってよしずを買ってきて、全部ばらして葦を確保してるのよ。大変。

★将来的に後継者はどうでしょうか?
弟子は作らない。駄目なんですよ。教えるでしょ。こいう形って見せて教えるでしょ。ちょこちょこっと作って他に行っちゃう。金のことは頭に置くなって言ってるのにね。金が頭に入ったらいいのはできないのよ。俺、そういうの嫌いだから弟子はとらない。

★ちゃんと伝統を伝えていくお立場にいらっしゃるような気がするのですが、そのあたりはどのようにお考えですか?
あめを持たせると、ああこれは熱くって駄目ですって帰っちゃう人が多いんだもん。仕方ないんじゃないの。棒につけてあげればできるんだけど、それもねぇ。時代だよね……。

★息子さんの筋はどうですか?
悪くはないね。

★それはまだ息子さんには言ってないのですか?
言ってない。天狗になるから(笑)。まだハサミが研げないんだもの。息子が研ぐと反対に切れなくなる。ハサミはね、この先端が難しい。この先端が合っていないと難しい。あめを煮るのとハサミ研ぐこと、それがきちんとできなければ、まだまだだね。

★どうしてあめ細工の道に?
おれの親方に当たるような人が、これやる人いなくなっちゃうんだけど、誰かやらないかなぁって。じゃ、俺がやるよって。昔、お茶のあめやったことがあるから、はさみの持っていきかたなんかはすこしはできたからね。

★お茶のあめって?
和菓子のね、松葉だとか、くるっと廻して手を動かしてやっていたから。それに、うちにちょうど大学芋を煮た水あめが残っていたのね。そのあめがあるからやってみるよって。子供だましのようだけど(笑)、学校の前でやっていて結構売れたよ。

★この仕事の醍醐味は?
やっぱり子供との掛け合いでしょう。お客さんとの掛け合い。俺見なくてもできるからしゃべりながらやるでしょ。だから面白い。

★他の伝統工芸というとちょっと取っ付きにくいイメージがありますけど、あめ細工は庶民的なイメージがあって気取っていなくていいですよね?
ああ、おいらたちは気取っていたら駄目よ。

★今後もずっと続けていかれるんですよね。
やれるうちはやる。大人でも子供でもからかってやっているから面白いしね。

あめ屋はあめ屋
2.丸八橋は木の橋で
★何歳からこちらにお住まいですか?
俺、四男でいらない人だったから(笑)、中学卒業から一人で東京に来ていた。丸八橋の袂に住んでいたんだけど、その頃、この辺は何もなかったよ。家なんか焼けてしまっていて。

★変わりましたか?
ああ、まるっきり変わっちゃった。丸八通りの広い通りなんか車一台しか通れない道だったよ。鉄工所とめっき工場、肥料工場もあって、廃水で川も臭かったよ。丸八橋は木の橋で車は通れなかったしね。土手も低かった。
戦争で曲がった鉄骨なんてその辺にそのままだったね。小名木川なんて一度戦災で亡くなってうめた人をまた掘り起こしたりしてたね。
住宅が無くて何もなくて焼け野原でさ。でも段々に建設が始まって。そうすると建設の材木が積んであるでしょ。その頃は薪がない時代だから、集団でかっぱらいが来るのよ。夜なんか怖くて歩けなかったですよ。だけど、今この辺は幹線道路ができて団地も増えて便利になりました。

★では小さい頃のお話を。どんなお子さんでしたか?
ガキ大将かな。いやその下っ端だな。やんちゃのね。

★どんな遊びがありましたか?
おいらの子供の頃の遊びは見た人でないと分からないよ。全部手づくりの遊びだから。竹馬も全部手づくり。大きい子が作っていればそれを見て真似して作る。俺の考えとしては人がやっているものは俺もできるんだという主義でね。できると思えばできるんだよね。人間は。

★それでは仕事で自分が一人前になったなぁと思うのはいつ頃でしたか?
ない。一人前になることなんてない。いろいろなものが次から次に出てくるし。自分で作っているもんだって満足したこと一度もない。あるっていったら、その人はだめだよ、この仕事は。なんでもそうだよ。作るものに対して自分で満足だって思ったらやめたほうがいい。

★座右の銘を教えてください。
ないなぁ。

★じゃこれだけは大切にして生きているんだ、ということはありますか?
俺は物をつくることが好きで生きているんだよ。だから、それ作っていればおとなしくやっている。だからまあ一所懸命ってことかな。でもね、ちょっと本音を言うとほんとはこれでない仕事をしたかった。無形文化財になってから、もう仕事を変えちゃ駄目って女房が言うから。しょうがない(笑)。女房怖いから。ほんとうはラーメン屋やりたかった。実はこのあめ屋やる前に夜の屋台のラーメン屋さんだけどやっていたのね。タクシーの運転手さんの常連もついていてね。あめ屋の仕事が忙しくなってやめてしまったけどね。

★無形文化財に指定されて変わったことはありますか?
何にもないね。おれは一所懸命なだけ。何でもかまわないから。あめ屋でいいんだよ。あめ屋はあめ屋。

青木さんの手を触らせてもらいましたが、赤ちゃんのように柔らかい手で驚きました。
簡単にできるウサギでも完成品はまだない。満足をしたらおしまい!とおっしゃる気概。見習わなければいけないなぁ、と思いながら辞しました。
※2004年3月収録
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