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第3回『花と赤い橋と』2003/10/02
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★水琴窟
門前仲町の交差点に戻ってきました。この界隈は富岡八幡宮を中心にして岡場所がありました。参拝人という大勢の人が集まるのでそこに茶店ができて、そこで働く女たちが遊女になって行った流れもあるのでしょう。隅田川よりこちら側は新地でもありました。新地はいつの時代でも享楽の町の華やかさがあります。政府公認の岡場所、吉原には格としては追いつけなくとも芸は確かと言われるようにと、吉原のような見目美しさでない本物の芯の強い遊女・芸者としての路線を売りにしたようで、今でも辰巳芸者(江戸城から見た方角が辰巳になるため)という言葉がこの辺りには残っています。
門前仲町を永代通りから、一本裏道に入ると細い道が続き今でも遊郭の面影を残します。見世の格子の中から華やかな嬌声や三味線の音が聞こえてくるような一角もあります。川が縦横に走り、遊女たちを連れ出しての舟遊びなども自由に行われていたそうですよ。
さて、そんな昔をふと思いながら、信号から南にすぐの黒船橋を渡ります。
この辺り一帯は雀の森と言われていた場所でこれからいくつか橋の下を通っていくコースになりますが、その橋の一つに「雀橋」の名前が残っています。後ほど登場。

黒船橋の脇にやぐらがひとつ。やぐらというと火の見櫓の連想をしますが、この辺りはもともと埋立地で海への突端でした。水害にあうことが多い歴史を持っていたので、水難を知らせるためのやぐらでもあったそうです。
黒船橋の袂にもやぐらを模したものが一つ建っています。この橋を渡ってすぐに左折。さらに二本目の道を右折すると、正面に赤い鳥居が見えます。於三稲荷です。前原さんという個人の御宅のお庭の中にあります。

入るのは自由です。個人のお宅なので、皆さん静かに入られているようです。
この中にある水琴窟は必見の価値有り。
於三稲荷の言い伝えは、蛤町の漁師の孫娘於三と、旗本松岡半之助の三男新十郎の異母兄弟の悲恋物語です。
水琴窟にひざまずいて音を聞きます。初めての体験。とても澄んだ水滴の音で、文字で表しようのない感じです。於三の声と重なるような……。
於三稲荷を出て右に進むと「古石場橋」。渡りながら下をのぞくと親水公園になっています。今日はここを歩いていきます。
渡った先の牡丹町公園から右手に緩やかな坂道があって下りていくと、41種、580株の牡丹が植えられています。4月の上旬から5月の上旬にかけて咲きますので、花の咲く春の頃にまた来てみたいですね。今は秋なので、秋らしい花ということでさがしてみました。萩がありました。古石場橋をくぐって少し戻ると萩がたくさんたくさん咲いていました。散り零れるまでにはまだ間があるようですので、まだまだ楽しめそうです。
橋は普段は渡るだけですが、今日のテーマは橋をくぐることです。橋の上を人が通るのを橋の下から眺めるのも趣があるかなと思います。

古石場親水公園がこの先900メートル続いています。
公園の真ん中を流れる小川。水門で流れ込む水を制御しているそうで、本当に少しの水が流されています。夏には子供たちが入っています。子供たちの足でも足首より少し上だけの深さ。小川を真ん中にして両サイドに小道があります。水に親しめる公園ですね。

★橋をくぐる
親水公園に沿って歩いて初めにくぐる橋は「雀橋」。この辺り一体がすずめの森と言われた名残です。護岸はギャラリーにもなっていてこの「散歩の絵せんす」に味わいのある絵を提供いただいています画家の菅野たみおさんの絵も、実はこの中に一幅あるんですよね。ヒントは進行方向左側です。雀橋を渡ると次は「関口橋」です。個人の方がかけられたそうです。
実のなる木も目立ちます。夏みかんの木、柚子の木、柿の木、案内板の横にヒメ林檎の木、区のものですので、採ったらお咎めを受けるでしょうか。ならば闇夜に、と思った私。
次にくぐるのは「小津橋」。小津橋の近くには枇杷の木。そして梅の木、桃の木。向こう側にざくろの木。鮮やかに赤い花ですが、終われば実がつくでしょ。う〜ん、いろいろな果実の木。収穫の時期が気になりますね。
護岸ギャラリーの絵を楽しむついでに、ぴったり張り付いている民家も趣があります。家の裏側になりますが、南に面している日当たりの良さで護岸ギャラリーのほうにはみ出してくるいい枝振りの植物が多いです。
あっ!あれは葡萄。すごい。まだ青いけれども大粒です。こちら側にしだれていますが、これは完全に個人のお宅のものです。失敬というわけには行きません。
石の広場に出ました。子どもの像があります。正面は最近できたばかりの都営住宅です。石の広場:このあたりは古石場という町名です。江戸時代、江戸城築城に必要な石の置き場であり、また江戸市中の家屋の土台石などの加工場になっていた地域です、と案内板にあります。
「琴平橋」をくぐります。橋の下はひんやりとしています。この琴平橋で親水公園は終わります。橋を上がって道路を越えると小さいなバラ園。その先は平久川で行き止まりです。
琴平橋を上がってすぐの左で本日の昼食。
「ラ・サンテ」(TEL3820-8335)☆パスタとコーヒーサラダで680円。☆ベーグルパンにウインナをアレンジして、サラダにコーヒーつきで600円。☆単品で各種のパンもあります。☆ビールは450円。☆コーヒーは単品で350円。今年の三月に開店したばかりのきれいなお店です。窓からは親水公園の緑が見えます。蜜柑の木も実をつけていました。
この日はピーナツプリンのサービスがありました。どうぞ、って出されました。ええ!食べていいのぉ?下町!いいですね。

★赤い鉄橋を見に
「ラ・サンテ」を出て左に直進。「東富橋」を渡ります。橋の上では、はぜ釣りの人が数人いました。成果はまちまち。オケラの人も。セイゴを釣った人も。オケラは釣れませんよ(笑)。オケラってのは釣れなければ自然に手に入るものです(笑)。
永代通りを突っ切り、初めての信号「深川八幡橋東」に出ました。この信号から左を見ると赤い橋が見えますが、これが赤い鉄橋「八幡橋」です。
今日は橋をくぐることがテーマでしたのでこの橋もくぐってみたいと思います。まずこの橋を渡って道なりに行くと右側に数矢小学校の校庭が見えます。左側は八幡様の境内の裏手で、大きな相撲力士の碑が見えます。実はその脇を入っていくと松尾芭蕉を祀った小さな神社と奉納の赤い鳥居に出ます。密かな道です。鳥居をくぐって突き当たりを左に折れると、赤い鉄橋を下から見ることのできる緑道に出ます。この赤い鉄橋は国産第一号の鉄橋で別名、「旧弾正橋」と言います。京橋楓川にかけられていましたが、新しい弾正橋ができたので、元弾正橋として頑張っていました。でも関東大震災後の帝都復興計画により廃橋がきまりとなり、ここに引き取られたわけです。名前も「八幡橋」に変えられました。名前を変えられても黙々と役に立って……物の命とはすごいものですね。
赤い橋を下から見ると、菊のご紋が四つ入っていますが皇室とはかかわりはありません。明治になった新政府がリキを入れてデザインしたとのことです。
本日は一応ここで終了です。深川八幡様にいますので、第一、第三の日曜日にいらした方は骨董市やフリーマーケットに遭遇できます。毎月1日、15日、28日は縁日ですので、その日にいらした方は植木なども相当数出ていますので沿道をお楽しみくださいね。
まだまだ歩きたい方。このあと木場公園はいかがでしょうか。聞きながら行ってみてくださるのも、また散歩の楽しみの一つです。道行く人に聞いてください。徒歩10分ほどで到着します。
えっ!ご案内係のSORAが手抜きをしてるって? いえいえそんなことはありませんよ。下町の人たちは道行く人に親切です。そんな下町もお楽しみください。
木場公園は大江戸線地下鉄の車庫ともなっている広大な公園です。車庫は地下ですから公園からは望めませんが、車庫から避難して外に出る塔が植物園の周囲にありますので、見つけてみてください。果実の木を集めた辺りです。他には、秋の七草、洋風ガーデンコーナー、それから綿の木、 ケナフの木など多くの植物が楽しめます。木場公園からの最寄駅は東西線「木場駅」まで10分。半蔵門線「清澄白河駅」まで20分。新宿線「菊川駅」まで15分の距離です。それではまた。お元気で!再見!
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