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第一話 落葉なき椎……麟太郎(りんたろう)誕生のこと
(十)
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「……主(ぬし)さんは本所にお住まいかえ?
それじゃあ、『落ち葉なき椎』って噂も、よくご存知ざましょ?」
「いや、オイラは檻……。いや、お臨時のお役目で遠国へ出張り、近頃帰ってきたとこだ。なんだえ、その『落ち葉なき椎』ってのは」
花魁(おいらん)の語るところによれば、本所でも〈御竹蔵〉の隣にある、肥前平戸新田藩の上屋敷にある巨大な椎の木は、この季節になっても、一枚の落ち葉も道に落ちていない、というのだ。大したこっちゃあないと思うだろうが、暇を持て余している江戸の人びとにとっては、これが大きな噂となるものさ。とうとう〈本所七不思議〉の一つに数えられるほどになり、ここ吉原でも大評判だという。
オイラは座敷牢に閉じ込められていたんで、その噂を聞いたことが今までなかった。
「へえ、そんな噂が本所に持ち上がっていたってわけか。
そいつは不思議といえば不思議だなあ」
と花魁の手前、口じゃあ言ってみたものの、さしたる興味も持たなかった。
朝日の昇る前、一番闇の濃い刻限、町でも、まだ豆腐屋しか動いていないだろう。オイラは人知れずに牢へ帰らなきゃあならないので、こんな刻限から、佐野槌の提灯を借りて、まだ昨晩の名残の濃い早朝の町を歩いていた。
(「よしはら 佐野槌」なんて書いた提灯を持って帰るのは、いかにも檻を抜け出して遊びに行きました、と大声で言って回るようなもんだ。はて、どうしたらよかろう?)
などと、とつおいつ思いながら馬道(うまみち)に歩を進める。
(知り人に見られてはまずいし……。
よし、両国橋を渡らずに、吾妻橋を通って川沿いを行こう。あの道なら片側は大川、もう片っぽはほとんどが大名屋敷。この刻限じゃあ通る人も、まずいねえだろう)
ちょうど首尾(しゅび)の松の対岸に来た頃、東の空がぽっと明るくなってきたが、西空には黒々とした闇が残り、まだ町は藍一色の世界だ。
その海底のような蒼い光景の中に、西空の闇をそこだけ取り残したように黒いものが……。
(狸か、河童か? 河童なら両国の見せ物にでもたたき売って、夕べの費(つい)えの足しにでもするんだが……。まさか、河童じゃああるめえ)
〈人〉だった。
側まで近寄らずとも、箒をもった男が川沿いの道を掃いているのが、その影の形から分かる。
(なんでえ、松浦(まつら)豊後守の屋敷じゃあ、こんなとんでもない刻限に掃除をするってえのか?)
平戸藩の支藩・平戸新田藩の上屋敷の前だ。
訝しく思いながらも、男の側を通った時に、ひょいと下を向いた顔をのぞいてみた。そこには、
「おい、利平じじいじゃあねえか。おめえ隠居して故郷の身寄りのところに行ったんじゃあ……」
「あっ、小吉さま。とんだところを見つかって……。
まあ、これには子細がございますので、いずれお話いたしますので、それまでは何も聞かないでくださいまし」
他の掃除人には聞かれたくないのか、小声で利平じじいは言った。
オイラは、懐かしさで一杯だが、利平じじいは後で話すというのだから、長話をするわけにはいかない。また、自分自身が、見つからない内に檻へまた入る必要もある。
そんなこんなで、さしたることを聞けないまま、利平じじいをそこに残して、急いで家に帰ったってわけだ。 |
続く |
2005/1/26 |
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