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第二話 狸ばやし……勝小吉(こきち)喧嘩仲裁のこと
(二)
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「おう、おう、早速のお運び痛み入る」
北本所新町の平戸藩下屋敷では、池内左兵衛が愛想よく出迎えてくれた。
一室に招じ入れ、なかなか香りの高い茶などふるまいながら、
「いつものことで、ご隠居のお道楽に付き合わせるようだが……」
かくかくしかじかと、〈狸ばやし〉探索の一件を話す。
「あいつですかい。こちらでも本物は、耳にされてるんで……」
「ああ、聞こえますよ、聞こえますよ。この裏の源森川の方から聞こえたかと思うと、今度は横手の小梅村の方。
最初は面白いと思ってもいたが、最近じゃあ、何か悪いことが起こるんじゃあと、ちょっと不気味になってきました。
なにしろ、英吉利(いぎりす)や露西亞(ろしあ)の船は近海に出没するは、各地で一揆は起こるはという御時世。特に当藩は外海に突き出すような島ですから、気が気じゃあありませんよ。
それで、お引受いただけますか?」
英吉利や露西亞のことは、小吉にはとんと見当もつかない話だ。
それでも、世間の不安感は人並みにヒシヒシと感じている。
(〈狸ばやし〉の裏に、何か悪事でもあるといけねえや。ここは、ご隠居のためだけじゃあなくて、世間のためにも本当のとこを探らなきゃあならねえだろう)
「喜んでやらせていただきますよ。こいつァあ、世間さまのためにもなることだ」
辞を厚くして頼めば受けてくれるとは踏んでいたが、それでも、確約してくれたとあって、左兵衛は喜んだ。そんな気持ちが、
「勝どの、この際いっそ、当藩に仕官なすっちゃあいかが?」
などという冗談半分本気半分の発言になった。
「いやいや、冗談だとしてもありがたいお申し出。
でも、オイラァあ、こんなガサツな男だ。なかなか『さようしからば』のお勤めなど勤まりませんやね。
それにね、池内さん、うちのお祖母(ばば)さまは……」
などと、内情を語ってしまうほど、打ち解けてしまった。
〈小吉の祖母〉といっても血がつながっているのはお信の方。小吉はいわば〈入り婿〉のようなものである。その〈お祖母さま〉、何かとあれば、
「小吉どの、そこへ直りなさい。この勝の家は『東照神君、伊賀越えの御危難の折……』」
と言うのが口癖。世の中で、徳川家の直参より偉い者などいないと信じている。
「……ですから、とても陪臣(またもの)になるなんざあ、言えませんや」
「冗談口とはいえ、ご無礼を申した。勝どのは、ご立派な直参のお家柄、不調法はお許しあれ、お許しあれ」
麟太郎が生まれて以来、〈定期収入〉がありさえすれば、どこの家来になってもいい、というのが小吉の本心ではある。しかし、〈お祖母さま〉、いや、お信のことを思えば、是非とも小普請組の無役の身から脱して、役に就かねばならないのである。
そんなことを、とつおいつ考えながら、平戸藩下屋敷を退出してから、足の向くまま大川端を歩いていた。
鮮やかな夕日は、すでに対岸のお米蔵の向こうに沈み掛けていた。
もう今年の梅雨は明けたようだ。
左手にある大名屋敷や旗本屋敷の暗がりからは、蝙蝠が盛んに飛び立っている。
「おい、小吉っつあんじゃあないか。久しぶりだな」
と声を掛けられ、どこを歩いているか、やっと気がついた。
「おお、〈笛吹きの金さん〉じゃあねえか。近頃は、吉原もとんとお見限りだな」
〈笛吹きの金さん〉と呼ばれたこの男、小吉より十近く歳を食っていそうだから三十代か。前に会った時には、守田座の囃子方で笛を吹いていた。
そんなわけで、小吉も皆に倣って、
〈笛吹きの金さん〉
と呼びならわしてるが、氏素性の方はとんと分からぬ。
(どこかの旗本の家の、部屋住みででもあろうよ)
と思っているが、詮索をしたこともないし、するつもりもない。
ただ、小吉、
(妙に馬が合う)
ものを、この男には感じている。
どこの誰かははっきりしないが、飛白(かすり)の白薩摩と涼しげな風体で、相変わらずいなせな雰囲気をもっているのは、いつもと変わりがな
い。
「いや、最近は芝居も不景気で、笛吹きは〈お役御免〉になっちまった。
どうだい、そこいらで……」
と左手で杯を傾ける仕種をする。
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「あの〈狸ばやし〉かい。オレも聞いたことがあるが……」
大川を渡った柳橋は、船宿〈近江屋〉の一間である。
意外にも酒の苦手な小吉は、所で上がった魚の洗いを口にしている。これに対し、金さんは、上戸らしく最前から杯をしきりに干しているが、顔色一つ変えない。
「あれは、〈葛西ばやし〉だな」
「〈葛西〉というと、『葛西、金町、半田の稲荷』の……」
「ああ、その〈葛西〉だ。
そもそも〈葛西ばやし〉が始まったのは……」
金町は葛西神社(葛飾区に現存)である。享保二年というから、このお話より百年ほど前に、小松川村香取明神(江戸川区中央の香取神社)の能勢環(のせたまき)という神主が江戸に流行らせた。それ以来、江戸の祭囃子といえば、ほとんどが〈葛西ばやし〉一色になったという。
「元笛吹きのオレに言わせりゃあ、あれは素人だな」
「金さん、狸がやってるんだから、素人には違いあるめえ」
「はははっ、違いねえ、違いねえ。
でもね、小吉っつあん……」
急に真顔になって、金さんが言うのは、最前小吉が心配したようなこと。
つまり、
「〈狸ばやし〉の裏に、何か悪事でもあるといけない」
ということである。
「今日、川向こうに出張ったのは、柄にもなく、知り合いのとこの伜に意見するためだ。最近は、本所の若い者が、組に分かれての喧嘩三昧だというじゃあねえか。
本所と言やあ、小吉っつあんの所場だろう? 何か聞いちゃあいねかい?」
「いや、子どもが生まれてからこの方、若い者と同じことはできなくなった。
ハハッ、オイラも焼きが回ったね」
「そんなことはねえだろう。子どもというのは、可愛いもんだ。ましてや我が子だ、心変わりをしても奇怪しいことじゃあねえ。
まあ、いろいろと忙しいだろうが、何かあったら、この船宿に知らせてくれろ。そうすりゃあ、すぐにオレに知らせが来ることになっている」
子どもの話が出たのを潮に、小吉は座を立った。
金さんが、笛吹きを止め、どんな身過ぎ世過ぎをしているか分からないが、その元気な様子に安心して、船宿の階段を下りる小吉であった。 |
続く |
2005/3/9 |
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