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第二話 狸ばやし……勝小吉(こきち)喧嘩仲裁のこと
(三)
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「おい、お信、今帰った」
その声を聞くと、お信はそそくさと玄関に出てきた。思いがけない帰宅に、やや顔が上気しているのが、小吉の目に、新鮮かつ微笑ましいものに写った。
奥では、お祖母さまが御題目を唱える声が聞こえる。
やや落ちついて、座布団に大胡座をかいた小吉に、お信は懐から取り出した一枚の紙片を見せた。
「麟太郎が、こんなものを書いたんです。
あたしに見える場所に置いてあったから、何か言いたいことがあって、それで落書きしたんじゃあないかと……。あの子は、したいことがあっても、すぐに我慢してしまう質(たち)だから。
でも、読めても、意味は分からなくって……」
「子どもが、片仮名だけで書いてるんだ。分からねえなんてことがあるもんか」
そうは言ったが、紙片にある文字は、
「チキチキウクエケニキ
ケエンジクツクヲコ
ナカラカイキクカイキ」
と読めても、意味は分からない。
「……確かに、意味はさっぱりだ。
おめえに分からねえものが、オイラに分かるわけがねえや。おめえの方が、よっぽどものを知ってるからな。
皆言っているよ、勝さんは無学だが、お信さんは学者だって……」
「何が学者なものですか、いやですよ」
なお一層赤くした顔を、袂で隠す。
(エヘヘ、女房も可愛いもんだな)
七つの年、勝家の養子になってからだから、お信とはもう二十年近い付き合いになる。それでも、まだまだ初々しいところがある。
小吉は、奥の御題目の様子を気にしながらも、目顔で妻を誘った。
それでも、口では、
「精さんなら、分かるだろう。今日は、もう遅いから、明日にでも見せてみよう」
などと言っている。
「今日はお早い。夕べ何かありましたかな?」
精一郎の何気ない挨拶のことばも、今朝の小吉には照れ臭く感じられる。かえってぶっきらぼうに、麟太郎が書いたという紙片を従兄弟に突き出した。
「これを見てくれ!」
「なになに……。
『チキチキウクエケニキ……』
何ですか、これは?」
いや、麟の野郎が悪戯書きしたんだがね。オイラは無論、お信にも意味が分からなくって……。
どうも、何かオイラたちに、言いたいことがあるようなんだ。唐人(とうじん)の寝言見たようなもんだが、何とか意味が分かるようにしておくんな」
「今、なんて言いました?」
「……? 『何とか意味が……』」
「いや、その前に」
「『唐人の寝言見たようなもんだが』って言ったが、『唐人の寝言』ってえのは〈わけが分からねえもん〉の例えだぜ」
「いや、〈唐人〉〈唐言〉。どこかで見たか、聞いたかしたことがある……。
そうだ! ちょっと待っててくださいよ」
精一郎は自室を出ると、奥のどこかへ。
やがて、一冊の本を持ってきて、
「小吉っつあん、ここを見なさい。
寝言先生というお人が書いた『辰巳之園』って本だがね。巻末に、こうある。
『唐言と名付て、五音を以て云事、人の知る所なれど、爰にあらわす……』」
と読みだしたが、小吉にはさっぱりだ。
「オイラにも分かるように言っておくんな」
「ああ、贋の唐人語の作り方が書いてあるんですよ。
『アカサタナ、ハマヤラワ』の後には『カ』の音を、『イキシチニ、ヒミヰリイ』の後には『キ』の音を付ける、というわけです。
さて、麟太郎の落書きを、これに照らし合わせ、『カキクケコ』を抜くと……。
『チチウエニ ケンジツヲ ナライタイ』
となりますな」
「『チチウエニ……』、『父上に剣術を習いたい』と言ってるのか!」
麟太郎も、小吉っつあんに相手をしてもらいたがっているんだ。
おとなしい子だから、本を読んでいれば満足していると思っていたが、本心では、そんなことを……」
小吉は、肩を落としてため息をついた。
「……ここんとこ、〈稼ぎ〉に忙しかったから、碌すっぽ家にも帰っちゃあいねえ。
ともかくお役に就いて、お信を安心させてやりてえ一心。それがひいては、麟の野郎のためだと思ってたんだが、やはり子どもには分かってはもらえなかったんだな」
「小吉っつあん、それを子どもに分かってもらおうというのは、やはり無理だ。
小吉っつあんも、あんな時分には、父上に構ってもらうのが嬉しかったでしょうよ」
そのことばに、父・男谷平蔵が、何くれとなく気を配ってくれていたことを思い出した。そして、殴られたことも。
小吉は、思わず月代に手を伸ばした。
「だけど、この本、五十年以上も前のものなのに、麟太郎はどこで目を通してきたんだ……」
精一郎は、別のことが気になっているようだ。 |
続く |
2005/3/16 |
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