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第21回

第三話 片葉の葦……勝麟太郎(りんたろう)「忍び」になりそこなうこと
(一)

「父上、父上、あの紫色の葉っぱはご存じでしょう? 紫蘇(しそ)ですよ」
 小吉の目には、雑草だらけの、ほったらかしになっているとしか見えない庭だ。けれども、まだ少年の麟太郎には、興味深い植物がさまざまにある、おもしろい場所らしく、いくぶん興奮気味だ。
「梅干しを漬ける、あの紫蘇か」
「ええ。でも、それだけじゃあなく、魚や蟹に当たったときの薬にもなるんですよ。
 ああ、あの生姜もそうです。
 あっ、あそこには蒼耳子の草が生えている。切り傷や虫さされのときには、葉を揉んでつけると効きますよ」
 少年は、父親のことなどは忘れて、トコトコと草むらの中に入ってしまった。
 真夏の日差しの中で、その姿が木立の影に隠れたり現れたりしてチラチラする。
「金銀花」「半夏」「決明子」「蒲黄」などという、まだ子ども子どもした声がきれぎれに聞こえる。けれども、木や花といえば、梅や桜、松や菊ぐらいしか知らない小吉には、何のことかさっぱり分からない。
「おーい、麟。先生がお待ちかねだといけねえや、早く戻ってこい!」
 麟太郎は、小さな池に育った葦の草むらを見ていた。
 普通なら茎の両側にある葉が、片側にしか生えていない。
(なんで、片一方にしか葉が出ないんだろう?)
 その疑問を、「早く戻ってこい」との父親の声が破った。
 顔を大声の方に向けると、ほぼ頭の上から降ってくる夏の光に、父親の小柄ながらもガッシリした体が白光りして見えた。
 聞き分けがいいのが、この少年の取り柄の一つだ。放ったらかしに育てたつもりだが、母親が武士の子らしく、きちんと育ててくれている。少年は、父親の大声を耳にすると、すっ飛んで帰ってきた。
 だが、その表情には、ありありと残念そうな色が見える。
(ウフフ、やはりまだ六つの子だのう)
 少し可哀相なことをしたと思ってか、小吉は、麟太郎を褒める気になった。
「麟や、おめえ、詳しいな。どこで、そんなことを覚えたい?」
 ませているようでも、まだ小さい子どもである。親に褒められるのが嬉しくないはずがない。顔を輝かして答えた。
「ほとんどは、番場町の伯父様(男谷忠之丞)のとこにある、『和漢三才図会』で覚えました。実際の草や木の名を教えてくださったのは、母上です」
 小吉は、「フーン」と言ったっきり口をきかなくなった。
 心配した麟太郎は、父親の顔をのぞきこんだが、何か考えているんだなと察して、こちらも無言のまま歩く。
(お信の奴、妙なことを知ってやがんな。我が妻ながら只者じゃあねえと思ってたが、やはりな……)
 ここは四谷伊賀町にある小吉の師匠、子竜平山行蔵(しりゅう・ひらやまこうぞう)の住まい。
 三十俵二人扶持の御家人の例にもれず、百坪程度の敷地に、北に寄せて二十坪ほどの住居兼道場が建っている。それ以外のほとんどは、冠木門(かぶきもん)から玄関のところまで、草や木がびっしりと生えている。今の今まで小吉は「風情のある庭だ」とは感じていたが、薬草を集めているとはついぞ知らなんだ。
(「負うた子に道を教えられ」とは、このこった。やはり学のないのは不自由だのう)
 そう思いながらも、小吉は玄関から奥へ案内を乞う声をかけた。
 するするすると、どこから現れたのかと思うほどの滑らかな動作で、内弟子の栄次郎が小吉の前に。
(こやつ、まだ、十八、九歳のはず。それにしては身のこなしが、堂に入っている。これも師匠の薫陶の賜物か?)
 そんな小吉と、麟太郎に、この内弟子は等分に声を掛けた。
「これは、これは勝様。師匠は、最前からお待ちかねです。ああ、そちらが麟太郎様ですな、どうぞ、どうぞお二人とも奥へ」
 二人は、栄次郎に伴われて、子竜が臥せっている一間へ。小吉が頻繁に出入りしていたときには、寝所として使われていた座敷だ。
 老人は、客が来たというので、布団に半身を起こし、薬湯らしきものを啜っている。
 それにしても子竜の顔色は良くない。普段の血色はどこへやら、どす黒い色素が顔面全体に浮かんでいる。
「先生、ご病気だとは聞いておりましたが、今日までうかがいもせず……」
 麟太郎にも頭を下げさせて、小吉は挨拶をした。
 子竜は、やつれた首を振って、
「ほう、こちらが勝の嫡男か……。おまえによく似て、気の強そうな顔をしている。結構、結構」
 子竜は、尖った顎を麟太郎に向け、
何やら庭から子どもの声で、本草の名前が聞こえたが、あれはおまえかい」
 と尋ねた。そうだとの返事をした麟太郎は、視線をじっと子竜にそそいだまま動かそうとしない。
(まるで「睨めっくら」だな。おれは師匠の目が鋭く怖くて、こんなに長くは見てられなかったが、やはり病がよっぽどお悪いとみえる……)
 けれども、麟太郎にしてみれば、視線を逸(そ)らさないのがやっとのこと。病で弱ったものの、依然として炯々(けいけい)たる眼光に内心は、
(父上の怒ったときも怖いが、こんなにおっかないお爺さんは、初めてだ!)
 と緊張しきりなのである。
「そうか、そうか。で、修行をして本草の学者にでもなるつもりかい」
「いえ、医者になろうと存じます。父上が千人もの人を斬ったと言いますから、私は千人の命を医の道で助けたいと存じます!」
「フオッ、フオッ、フオッ」
 日頃の子竜には珍しい笑い声が病室に起こった。
(我が子ながら、よくも言いやがったなあ。どこで覚えてきた科白だ?)
 小吉は、息子の大言壮語に、感心すると同時に、やや鼻白む気もする。
「おまえの父上は、そんなに人を殺(あや)めちゃあいないよ。これでも、なかなか人の道を心得ているご仁だ」
続く

2005/4/20

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