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第三話 片葉の葦……勝麟太郎(りんたろう)「忍び」になりそこなうこと
(二)
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「それでは、最初は蘭方の医者になるおつもりで……」
身を乗り出してそう問うたのは、海舟の談話を取りに来ていた大橋乙羽(おおはしおとわ)。
出版社博文館の創業者・大橋佐平の娘婿で、義兄である現社長・新太郎の右腕として編集業務全般をみるかたわら、看板雑誌「太陽」の編集長も務めている。
戸外には木枯らしが吹いているが、ガラス障子からの陽光で部屋は温まり、きわめて快適だ。それもあって、乙羽は、取材が終わってからも腰を落ち着け、海舟との雑談を楽しんでいた。その長っ尻が、思わぬ話を引き出したのである。
そうさな、まだ小さい時だから、漢方も蘭方も分からない。ただ、人助けのできる医者になろうと思ってた。
だけど、考えてごらん、小生意気な餓鬼じゃあないか」
海舟は、自らの子ども時代を省みて、鼻でせせら笑った。
明治三十年の冬である。
この年、海舟は七十五歳、乙羽は二十九歳。海舟にはあと一年ちょっと、乙羽には二年半ほどしか命が残されていないことを、二人とも知る由もない。
*
「それにしても、ちゃんと先のことを考えているのは、結構、結構。
これ栄次郎、麟太郎に庭を案内しておあげ。まだ見ていないとこもあるだろうから」
師弟二人きりになると、小吉は本日の用件を切り出した。
「お見舞いかたがた伺ったのは、実は、麟太郎のことなのですが……」
師は、視線を弟子の顔からけっして離すことなく、じっとその話に耳を傾けている。まるで、今生(こんじょう)の思い出に、その顔を確実に刻もうというかのように。
「私と同様、ここに出入りさせていただき、薫陶(くんとう)を与えていただきたいと思い、本日はお願いに参上いたしました」
使いつけない切り口上で、小吉は師に願いの趣を伝えた。
子竜は、病で弱ったものの、底力のある声で、
「それは、あの子を、わしの元へ弟子入りさせたいということだな?」
小吉が頷(うなず)くと、子竜は声をひそめて、
「それはたやすいことではあるが、おれは、そう長いことはない。もう一年とは持たんだろう」
と薬湯の入った茶碗を揺すった。
「栄次郎がうるさく言うので、こいつを飲んでやっているだけだ、奴の修行の助けにもなればと思ってな」
と微笑んだ。表情には、さすがにやつれが隠せない。
「まあ、わしが直接何かを教えるということはできんが、それでもよろしければ、ここへよこしなさい。
栄次郎は子ども好きだ。奴が、いろいろと面倒を見て、知識は与えてくれるだろう」
そんな二人の話の切れ間に、庭で麟太郎に何かを教えている栄次郎の声が聞こえる。どうやら「片葉の葦」ができる理由でも教えているらしい。
*
ああ、『片葉の葦』のできる原因かい。どうも何かの都合で、光が片一方からしか当たらないと、そうなるらしい。
西洋には、人間を葦に例えた学者がいるらしいネ?
そうか、パスカルってフランス人の先生か。
オレの見るところ、どうやら人間にも『片葉の葦』や『葉無しの葦』があるようだネ」
と海舟は、乙羽の顔をじっと見つめた。
(はたして私を、どう見ているのだろう、少なくも『葉無しの葦』でないことに自分では自信があるのだが……)
視線を外すと、海舟は続きを話し始める。
「こうして、平山先生の弟子、というか、お屋敷に出入りするようになった。
先生がご病気だったから、実際には栄次郎さんが、四書五経の素読、本草やら医術の基礎、大島流槍術や渋川流柔術なんかを教えてくれた。
これが、先生がご達者だったら、オレは忍術遣いになっていたかもしれない」
「エッ!」と乙羽は、思いがけない話に目を剥(む)いた。
(また、海舟先生にからかわれているのか?)
と思ったが、真顔での発言。冗談とは考えられない。
海舟は、握った両手を上下に重ね合わせた。
「忍術遣いというと、芝居見たように、ドロンドロンと思われそうだが……。実際のところは、今日でいう『情報将校』サネ」
と説明したが、乙羽には、その像を具体的に思い描くことができない。さらに、
「栄次郎さんは、マアいくぶんかは、その道の手ほどきを先生から受けていた。本草やら医術についての知識も、その一部さ。要は、敵の秘密を探り出したり、政治上の秘密の工作をするのが、忍びの役割だヨ。
西郷(隆盛)も、元は薩摩のお庭番、いわば忍びサ。
ご一新の前に、御札が天から降ってきたという『ええじゃないか』騒ぎがあった。あいつは、どうも西郷の仕業じゃあないかとオレは睨(にら)んでいる」
と言われて、若干は理解ができた。
「忍びについての知識は、先生のその後に何か影響を与えていますか」
不躾(ぶしつけ)だとは思ったが、
(尋ねることが後世のためでもあるだろう)
思い切って、そう質問を口に出した。
「さあ、どうだろう。若い時分は、目立ちたい、偉くなりたいと思っていたからネ……。
それは、また別の機会に話すことにして、話を元に戻そうヨ」
海舟には、「忍び」に関して、まだ話せないことが多々あるらしく、話を逸(そ)らそうとした。どうも、海舟自身が「情報将校」の役割を果していた、いや、今でも果たしている気配が濃厚だ。
乙羽も、無理に聞き出すのは、この国の裏面に触れることになりそうだと思い、流れのまま耳を傾けることにした。
「平山先生直接ではなく、栄次郎さんにいろいろと教わっている間に、先生が、日一日と弱っていくのが目に見えて分かったヨ。
オレが入門して、半年ほど経ってのことだ……」 |
続く |
2005/4/27 |
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