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第四話 消えずの行灯……小吉、高野長英を匿うこと
(一)
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「外交方針だ何だとか言って、政府では騒いでいるようだが、一体全体、何をしとるんだ!」
乙羽が畳廊下を歩いている内から、先生の錆びた声が聞こえてきた。
本来、淡々と語る先生だが、いつになく御立腹の御様子。
部屋に入ると、先生と洋服姿の新聞記者に黙礼して、記者の斜め後に座を占めた。
今日は明治27年の6月3日、廟堂では清国と戦端を開くべきかどうか、かまびすしい議論が行われている。
「伊藤(博文)は何をしておる。独断で一個混成旅団を派兵した川上(操六)を断固処罰して、陸奥(宗光)の小僧の出端を挫かねば、日清の提携による、東洋平和は実現せぬぞ!
名分のない戦争は不可、みすみすロシアに東洋進出の機会を与えてやるだけじゃあないか」
記者は開戦論者らしく、何か不満そうな顔つきで先生の話を聞いている。いや、聞いているというより、とりあえず開戦反対論をただ耳に入れている、という気配が濃く、居心地悪そうにそわそわしている。
案の上、記者は挨拶もそこそこに、座を立って辞去した。
「乙羽クン、最近は開戦論者がほとんどで困るなあ。そんな奴には説破してやるつもりでしゃべるのだが、相手はハナから話を聞こうともせん。今の奴も、上司から勝の開戦反対論も参考までに聞いてこい、といわれて来たんだろう。人の話を最初から決めつけているから手帳も出さん」
最近の情勢は、海舟には居心地のいいものではない。国民こぞって日清開戦論に熱狂しているのに、一人醒めているのだから、よほど精神力が強くなければ耐えられないだろう。
そんなこんなで御立腹の先生だが、ひとしきりしゃべると、気持ちも落ち着いてきたらしく、いつもの語り口になってきた。
乙羽が水を向けるのは、これからだ。
「陸奥外務大臣は、昔から、ああいうお方だったのですか?」
「ああ、奴が十代のころに、おれの海軍塾の塾生だったのは知っているだろう? その当時は、皆から〈うそつきの小次郎〉(幼名・小次郎)と呼ばれていたもんさ。
つまり、小利口な小才子というわけだ。今でも権謀術策にばかり走り、政治の根本に哲学がない、大局を見る目がない、もちろん信念などはどこをつついても出てきやしない」
そんな外務大臣を戴いた国民は、不幸そのものだ。しかし、大半の日本人は、そうは感じてはいない。それが、今の時代の不幸を根深いものにしている。
「そんな人は、旧幕時代にもいたんでしょうね」
「幕府の上の方には腐るほどいた。ただ、大局を見る目はなくとも、信念をもった人物も多かったがネ。そういう人物は、オレと正反対の信念の持ち主であろうとも、やはり一丈夫と評すべきだろう。
いい例が、鳥居甲斐守だヨ。
もっとも、オレのオヤジなんかは、毛嫌いしていたが、それも分からないではない。オヤジの知り合いや友だちが、かなりの被害を受けたからナア……」
「今日は、その辺り、旧幕時代の蘭学のお話を聞かせていただけるという、お約束で……」
「アア、そうさナア、最初のころの話は、オヤジや栄次郎さんに聞いたものが多いから、思い違い、聞き違いがあるかもしれない。
まあ、それは覚悟して聞きなさい。
まずは渡辺華山先生。あの人には、オレにも直接の思い出がある。
先生には、ずいぶん可愛がってもらった。
なかなか穏やかな人で、学問も絵もよくできた人サ」
*
「蘭学を含めて、学問はよくできる。まあ、それ以上に絵の方が達者だがのう」
子竜平山行蔵は、かたわらに座る大柄の中年男を指して、そのように評した。
その評に男は、
「先生、拙者の絵は、あくまで余技です、余技……」
と言ったが、その頬には、薄い鴇(とき)色が浮かんだ。
(まるで、育ちの良い子どものように純な人だ)
小吉の目の前にいる男・渡辺華山は、三河田原藩家老格の家に生まれたせいか、擦れたところのない男だった。
子竜先生の住まいの一室には、ここ「兵原草廬」を華山が描いた絵が広げられていた。
なるほど評のとおり、なかなか達者な絵だ。
今皆が座っている座敷、書籍や武器で足の踏場もない座敷、寄宿する門人の住む座敷、薬草の繁った庭、玄関の額などが、真に迫った筆致で描写されている。
面相筆などの細筆で輪郭が取られているのだが、少しもせせこましいところがない。さすがに谷文晁に学んだだけのことはある。
「渡辺さんが、絵の達者とすると、私などは喧嘩の達者といったところですか」
小吉のことばに、
「呵々(かか)ッ!」
「ふふっ」
「アッハハ!」
三人三様の笑い声が上がった。年齢は離れていても、心を許しあった人たちだけが出せる笑い声であった。華山と小吉とは、今日が初対面だが、既に通じ合うものを互いに感じていた。 |
続く |
2005/6/22 |
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