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第四話 消えずの行灯……小吉、高野長英を匿うこと
(七)
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〈徳丸ケ原〉における、高島秋帆の洋式調練であった。
検分の幕府役人や砲術家は、安楽寺や松月院などの周辺寺院や、名主の家に宿泊だが、麟太郎たちのような見物の衆は、やや離れた板橋の宿泊まりということになる。
一夜明けて、
--天保十二年五月九日。
七つ(午前四時ごろ)、麟太郎と栄次郎の二人は板橋の宿を立った。
宿を出外れると、畑中の道を一里半。有徳院(徳川吉宗)公の御時に火炮試射場として開かれた〈徳丸ケ原〉までの道は、まだ暗い。
それでも、徐々に朝の気配が、夜の天蓋の片隅で息づいてきた。
大勢の人が〈徳丸ケ原〉に向かう道を、それぞれの歩調で進んでいる。夜の底に、まだ影としてしか見えない武士がいる。その声には、諸国の訛りがあった。
「麟さん、どうやら直参の侍は、ほとんどいないらしいな。
直参の連中は、何を考えていやがるんだ。これから戦のしかたが大きく変わるかもしれないってえのによ。じれってえな、まったく!」
やや遠慮勝ちに、栄次郎はことばを吐き捨てた。
七つ半(午前五時ごろ)、辺りはやや白み始め、歩く人びとの姿もはっきりしてきた。
圧倒的に多いのは町人で、侍は十人に一人いるか、二人いるか。
板橋宿からか、それとも江戸市中から飛ばしてきたのか、駕籠を急がせているのも、皆、町人だ。
「町人の方が、よっぽど目端が効くぜ。
奴らは、面白いもの、変わったものを見たがるだけじゃあなくて、商いに何とかつなげたいっていう肚(はら)だからな。
こんな不景気なご時世じゃあ、新しい商売でも見つけなきゃあ、やってられないってことだ」
栄次郎が言うように、〈天保の改革〉が本格的に始まって以来、ほとんどの商売は上がったり。駿河町越後屋でさえ、年に一万一千両余りあった売上が、七千両余にまで減っているという。ましてや、船宿・廓・料理屋などは、閑古鳥が鳴くさま。売上に変わりがないのは、米屋と薬屋だけだという市中の噂だ。
六つ(午前六時ごろ)、〈徳丸ケ原〉を見下ろす台地の端に着いたころには、すっかり日が上がっていた。
眼下には、縦が五町ほど、横が十町ほどに区切られた、今日の試射の場があった。四隅には上下を白黒に染め分けた旗が立てられている。手前には、二本黒い筋の入った幔幕に囲まれた、五張りの幕舎がある。ここには、おそらく検分の役人がいるのだろう。
朝日を右手から浴びて、旗、幔幕、幕舎の影が長く延びている。
試射の場の先には、荒川の支流だろう小流れが、川面を朝日にキラキラと光らせている。
どこから現れたのか、百名足らずの兵士が幕舎の前に立った。
兵士は皆、紺色の筒袖に筒袴姿。頭に風変わりな笠を被っている。
一人だけ紅梅色の筒袖を着ているのが、高島秋帆だろう。
見物の中から、遠慮のない笑いが漏れた。
「何だ、紙屑拾いか?」
「長崎の衆は、男でも、あんな派手な衣装を着るのかよ?」
「あの笠が、〈トンキョ帽〉か。何とも奇妙な笠よのう」
秋帆の耳には届かないだろうが、そんな声を無視するかのように、調練が開始された。
「……!」
秋帆が、何か叫んで、右手に持った赤白染分けの采を振った。
「麟さん、阿蘭陀語だぜ!
調練の合図は、ぜんぶ阿蘭陀語でやるらしいや……」
麟太郎が初めて聞くオランダ語だった。
背中にゾクゾクッと感動が走った。
(オレは今、阿蘭陀語を耳にし、阿蘭陀流の調練を目にしているんだ……)
そんな思いを、稲妻のような輝きが断ち切った。 |
続く |
2005/8/3 |
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