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第四話 消えずの行灯……小吉、高野長英を匿うこと
(十)
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長英は、自宅の門から玄関まで落ち葉を敷きつめ、誰が忍び込んでもすぐに分かるようにするほどの、用心深さを示していた。
ところが、奉行所の手先は、長英が医者であることを、巧妙にも利用した。一人の同心を重傷者に仕立て上げ、長英宅に戸板で担ぎ込んだのだ。ご丁寧にも、贋患者の全身には、鶏の血をまき散らしたという。
「先生、夜分申し訳ありません!
患者でございます。重い手傷を負っております、ぜひ見てやってくださいまし」
医者としての義務と責任がある。長英は、戸を叩く音に寝床から起き出してきた。
「どれどれ、難儀なことであろう。すぐに治療してさしあげましょう」
と言って、玄関に担ぎ込まれた戸板の上の患者に、手を触れた瞬間、
「長英、御用だ!」
贋患者は、血を滴らせたまま医者に組ついた。
長英は、両手を左右に開き、捕り方の組手を外す。
右手を握り、水月に突きをくれる。
ここまでが、一動作だった。
捕り手の呻き声を背に、長英は玄関から居間へ。
それを追って、数人の岡っ引きが、ばらばらばらと居間へ駆け込む。
十手が唸る。
一撃、右肩を後ろから。
次の一撃、左脇腹から背中へ。
一撃、また一撃と、十手が振るわれた。
「長英、召し捕った!」
弱ったところに、後ろから抱きついた岡っ引きが叫んだ。
それが一瞬の隙をつくった。
長英は、懐にやった逆手で短刀を抜く。
短刀を持った手を後ろに振り出す。
ブッツリ!
岡っ引きの右脇腹に短刀が刺さる。
今度は本物の血が流れた。
「ウムッ!」
長英は、短刀を引き抜くと、そのまま前に振り上げる。
「ギェッ!」
もう一人の胸の辺りから鼻先まで、血の赤い一線が描かれた。
「もう、逃げんでいいか……」
そうつぶやくと、長英はかえす刀で喉を突いた。
長英の死から一か月ほどが経った。
前日の宵の口に小雪が散らつき出し、その日は、昼から徐々に大きな雪片が降るようになってきていた。
(本格的な雪になるな……)と窓から顔を出した海舟が、部屋に戻ろうとした時、玄関口に笠をうっすらと白くした一人の男が現れた。
「本所入江町から虎の門、鶯谷、赤坂と、お宅を探しました……。
今は、こちらにお住まいになっていらっしゃるそうで。
ところで、小吉さんは……?」
と尋ねたのは、〈からくり儀右衛門〉こと、田中久重である。
今朝早く、品川宿から江戸に入り、転居先を次々に探して、やっとたどり着いたのだという。十一年ぶりに会った久重は、相変わらず無口ながら輝く目をしている。
「父は、去る九月四日にみまかりました……」
突然のことに驚いた久重は、小吉の死への悔やみを述べるのもそこそこに、墓所を尋ねた。
「牛込赤城下の清隆寺」と答えると、がっかりしたように肩を落とした。
「今度は、あまり長く江戸に滞在できないのです。残念ながらお墓参りはできませんので、お線香でも上げさせて……」
ぼろ家に似合わぬ、勝家先祖代々の立派な仏壇に線香を上げ終えた久重は、長英の死は知っているらしく、彼の墓所を尋ねた。
「刑死に近い死を遂げた長英に、墓所はない」と答えると、死亡した場所をきく。青山百人町を教えると、久重は風呂敷に包んだ何か大荷物を背負い、挨拶もそこそこにその方角へ向かった。
海舟が見送った後姿には、何か突き詰めたような気配が感じられた。
半刻ほど後、久重の姿を青山百人町で見ることができた。
久重は、背負った風呂敷を開くと、中のものを地面に置き、頭を垂れて何ごとかを呟く。
地表に置かれたものは、船の形をしていた。長年の苦心の作、蒸気船の模型である。
「あたしは、蒸気船さえ造れれば、それだけで思い残すことはないです」
「蒸気船か……。蒸気船はいいな。早く造っておくれよ。私はそれに乗って余所の国に行きたい!
この国のように、四方から迫ってくる壁に押しつぶされそうな所じゃあなくて、もっと広い広い所へ……」
頭の中に、自分と長英とのかつての会話が響いていた。
「長英先生、やっと模型ができましたよ……。
見てやってください。あと、何年かすれば、本物も造れますよ。
そうしたら、先生とご一緒に余所の国に行けたのに……」
やがて、久重は、そっとその場を、そして、江戸を立ち去った。
残された模型の上には、白い雪が降り積もる。
そして、雪の降りしきる夜になった。
江戸の闇は、まだ深い。 |
了 |
2005/8/24 |
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