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第40回

第五話 津軽の太鼓……小吉、津軽藩の悪巧みを暴くこと
(二)

 それからが大騒ぎ。
 大声で泣きだした長吉を、仲間がワイワイ言いながら家まで連れていく、侍の少年たちはその一団を囃し立てる、利平という半白髪の用人が飛び出して来て、血に興奮している小吉をなだめ、家へ連れ帰る……。
「おのれは、何てことをしでかしたんだ。人の子に傷つけて、そのままで済むか」
 小吉の父・男谷平蔵(おだにへいぞう)は、一部始終を庭からうかがっていたらしい。叱りつけながら、息子を縁側の柱にすばやくくくりつけた。
 この仕置きで泣き出すか、謝るかするだろうと平蔵は思っていたが、小吉はシレッとしたまま父の顔を睨みつけ、
「父上、あいつの方が悪いんです。いくら合戦に負けたからといって、利平がせっかくつくってくれた大事な凧をぶっこわすなんて無法があるもんか!」
 と甲高い大声を上げた。
 長吉の父親は仕事師、倶梨伽羅紋紋を背負った町内の顔役で、「油堀の親分」などと呼ばれている。小吉をほったらかしにしておけば、長吉に怪我を負わせた尻を、どうもってこられるかわからない。下手をすると、腕の一本くらいはへし折りかねない手合いなのだ。
 近所へ聞かせる手前もあり、小吉よりも大声で平蔵は、
「おのれのような奴は、こうだ!」
 と言いざま、履いていた庭下駄で、頭をぶん殴った。
「『目から火花が散る』っていうのが、本当だってことが初めてわかったぜ」
 とは、後の小吉の述懐。
「まあ、まあ、旦那様、お怒りでしょうが、子どものしたこと。先様には私が謝りに参りますゆえ、ここは一つお許しを……」
 主人の事情も充分承知で、小吉贔屓の用人・利平が、さんざっぱら謝ってやっと許されたが、これも近所への芝居の内か。
 頭からは、長吉よりも多量の血がドクドクと吹き出してくる……。
                    *
「親父殿の形見といえば、もうこの傷しかなくなっちまったなあ」
 小吉は、筆を持った右手で、月代の古い傷を撫で撫で独りごちた。
「さて、さて、続き続き」
 小吉の肚では、次は自分の母親のことを述べるつもりだ。しかし、「妾」という漢字を書こうとしてフッと困った。
「無学というのは、こんな時つらいもんだな……」
 文字が書けないときの習いで、いつものように妻を呼ぼうとして「お信」と言いかけたところへ、
「旦那様、亀沢町の精一郎さまが……」
 と、当人のお信が入って来た。
「精さんも、相変わらず他人行儀なこった。勝手に入ってくりゃあいいじゃあねえか」
 小吉のぼやきは、照れ隠しだということはお信にはよく分かっている。お信のくすくす笑いが消えるか消えない内に、男谷精一郎が座敷に入って来た。
 男谷精一郎信友(おだにせいいちろうのぶとも)、江戸末期の剣客・幕臣で、直心影流の達人である。
 血縁上は小吉の甥ということになるが,叔父の家に養子に入り、今では従兄弟という関係だ。また、妾腹に生まれ、他家に養子に出されたという境遇も似た者どうし。
 それもあってか、小吉より4歳年長だが、叔父と甥という血縁を重視して、
「小吉殿、小吉殿」
 と言って、常に立ててくれる。そんな男は、親戚では精一郎しかいない。
 中背だがずんぐりした小吉とは対照的に、すらっとした筋肉質の長身を曲げて鴨居をくぐると、精一郎は、小吉の前に四角四面に座り、馬鹿丁寧に挨拶した。
「小吉殿も、相変わらずの御息災で……」
 普通の男なら、小馬鹿にしたと受け取られかねない態度だが、この男にはごく自然に見えるのは人徳か。
 小吉は相変わらず照れくさいらしく、そっぽを向いたまま、その挨拶を受けている。
「精さん、ご丁寧なご挨拶痛みいりますがね、おいらとおめえとの仲だ、足でも崩して楽にしておくんな。そうでもしねえと、おいらの居心地が悪いやな」
 早口で一気にそう言うと、ドッカと大胡座。
「ウフ、ウフフ、ウフフフ」
 家や道場では受けたことのない、そんな伝法な態度が嬉しいらしく、しのび笑いながら、精一郎もゆるゆると膝を崩した。
「餓鬼の時分にゃあ、一緒になって随分馬鹿をやったもんだが、今じゃあ、玄武館・練兵館と並び称される大道場の主だ。偉くなったものだの」
 小吉は、皮肉ではなく本心から素直に、この幼なじみの出世を喜んでいる。精一郎も、それをよく分かっている。
「小吉殿、それは、言いっこなし。亀沢町の元悪餓鬼、精さん、小吉っつぁんでいいじゃあないですか。
 ああ、子ども時分といゃあ、油堀の長吉を覚えていますか」
「覚えてるどこじゃあねえ。今も奴のことを考えてたとこだ!」
 子吉は月代の古傷を撫でた。
「奴がどうかしたか。親父の跡を継いで、材木町の仕事師になったと聞いたが……」
「長吉の奴、どういう経緯か知りませんが、津軽様のお出入りを許されているそうです」
「ほう、奴も仕事熱心なもんだな。津軽様といゃあ、あの割下水二ツ目のご本家か」
「いや、林町のご分家・黒石藩1万石の方だそうで……」
 割下水ならば、小吉も24の年から5?6年ばかり住んだこともあり、土地勘もあり、いわば地元だ。しかし、林町は本所とはいえ竪川の向こう側、あまり詳しい様子は分からない。むしろ、精一郎の方が、道場の弟子たちからいろいろ聞いているらしく、事情通のようだ。
「お出入りになって細々とした御用をうけたまわるのはいいけれども、最近になって、ちょっとした難しい御用をいいつけられたとのこと。うまくいけば、ご本家にもご紹介いただけるという条件なのですが、もし、しくじりでもすれば、それどころじゃあなく、今の仕事もなくなると……」
「ほう、お大名でも1万石の小所帯ともなりゃあ、大様に構えてばかりはいられねえって訳か。で、その難題ってえのは何だえ」
 小吉の右手は、思わず知らず月代に伸びた。
 精一郎は、持参した『武鑑』を繰りながら、知っている限りのことを小吉に説明し始めた。
続く

2005/9/7

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