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第49回

第六話 足洗え屋敷……海舟、謎の印籠を所持すること(前編)
(一)

 --長崎が、
〈世界に開かれた町〉
 だなんていうのは大嘘のコンコンチキだ。
 蘭学修行の書生さんならともかく、この町の人びとにとって、こんなに住みにくく、閉ざされた所も少ないだろう。
 周囲を山やまに囲まれた狭い土地に、五万人もの大勢が暮らしていて、しかもほとんどの人間の生業が、阿蘭陀国や清国との取引に関係している。町全体が一つの商家見たようなもので、どこのだれが何をしたか、なんてことが、箸の上げ下ろし一つでさえ筒抜けに分かる。
 だから、何かあれば噂になり、後指を指されるようになるのも早い。
 外見はおっとりとしているくせに、底意地が悪いのも、この町だ。
 オレの生まれたのは、五十二軒ある阿蘭陀語通詞の家の一軒。通詞には十五氏しかないのだから、実家の姓をいえば、どこの家ということはすぐに分かってしまう。
 その家のどれも、先祖代々の家業が通詞だっていうのだから、生まれてきた子どもにも、それが期待される。
〈辰輔〉
 というオレの名前は、もちろん生まれ年の戌年からではなく、その年の恵方が、
〈辰の方角〉
 だったからだ。阿蘭陀語の能に恵まれ、辰のように立身出世するようにと、〈お諏訪さん〉(諏訪神社)の大宮司が付けてくれた。このまま行けば、親父の後を継いで、それなりに平穏無事な一生が送れたかもしれない。
 けれども、あの年に、全てのことが狂い始めた。
 オレが五つの年に、弟が生まれた。
 オレは妾の子だが、この弟は正妻の腹。オヤジは結婚して十年、もはや、正妻に子どもは生まれるまいと思っていた。だから、オレはこの年まで、ただ一人の男の子としてちやほやされていたが、正妻に弟が生まれたとなれば話は別だ。
 オレが、近所でも暴れん坊として有名になったのは、どうやらこの年からのようだ。六つか七つの時には、年上の餓鬼まで従えた、一人前の餓鬼大将となっていた。身体は、ほかの野郎よりでかかったが、それが主なわけではない。
 喧嘩となると、途中で我が分からなくなり、やたら滅法に噛むは、殴るは、蹴りつけるは。で、相手の血を見るまで、取っ組み合いを止めようとしなかった。
 そんなオレを餓鬼どもは恐れて、大将に祭り上げていたというわけだ。餓鬼大将になったはいいが、そんな噂が、おっとりとしたこの町に、良く伝わるわけがない。乱暴者よ、悪餓鬼よ、ということで、養子の口など長崎中に一つもなくなったとよ。
 通詞の家に生まれた以上、十七歳ともなれば、通詞見習いとしてのしごとが始まる。オレも、六つの頃から阿蘭陀語の修行を始めていたから、そうなるのが当たり前のように思っていた。
 けれども、五つ離れた弟が、同じ先生について修行を始めるとなると、その差は歴然としていた。
 オレが徹夜して、やっと覚えた阿蘭陀語の文句なんぞ、こいつはものの半刻もしないうちにモノにして、しかもオレより巧く口に出す。
 それなら書く方はといえば、始めたては一日の長のあるオレの足元にも及ばなかったが、追いつくのも早かった。一年もしない内に、阿蘭陀人のしゃべるとおりに、書き写すことができたのだから、尋常じゃあない。
 そんなこんなで、十八歳のとき、親戚一同が集まり、弟を通詞の跡継ぎにして、オレには母の姓「本庄」を継がせ江戸へ修行に出そう、ということになった。学問に特別な能はなく、ただ身体がでかく、力が強いだけのオレだ。剣術でも習わせて、将来は所に道場の一つでも持たせてやれば、別の家を立てても、暮らしには困らないだろう、というのが結論だった。
 オレは、このコセコセした嫌な町を離れられることが嬉しかった。実家に縛られた十八年間の自分を捨てることができるのは、もっと嬉しかった。だから、江戸で修行することは、剣術だろうが、和算術だろうが、測量術だろうが、なんでもよかった。
 日見峠を越えるとき、オレは、この町にアカンベエをしてやった。もう二度と帰ってくることもないだろう、この町に--。
続く

2005/11/9

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