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第53回

第六話 足洗え屋敷……海舟、謎の印籠を所持すること(前編)
(五)

 --「本日は、お主を見込んで頼みがある」
 開口一番、鳥居様がそうおっしゃった。
 もうとっくに免許皆伝となった以上、出稽古もそうは必要ないのだが、相変わらず師匠は鳥居家へ、ちょくちょくお出入りしている。あれから、かれこれ四年も経っているのに、漢詩へのお墨付きは、まだ得られないらしい。「下手の横好き」なんてことばが頭に浮かぶが、それは言わないのがお約束。剣術修行は諦めて、道場の用人になったオレにとっては禁句だ。
 それはさておき、今日は、師匠ではなく、オレをご指名のお呼び出し。師匠の羽織袴を借りて、早速に伺ったというわけだ。
「ワシだけではなく、お主にとっても良いことじゃ」
 鳥居様は、二千五百石の家督を継がれ、今では幕府のお役人。そんなお方が、オレに何のご用というのだろう? オレは興味津々、耳をそばだてて話の趣きを聞いた。
「こたびシーボルトなる者が、医官として商館長ともども、江戸参府することになっているのは、知っていよう」
 長崎屋から聞いたような気もするが、「詳しくは知らない」と馬鹿正直にいうのは、この殿様のご気性から言ってまずい。「ははっ」と承るのが最善であるのは、用人になってから一層よく分かっている。
「無闇に出島を出ないのが、阿蘭陀人の決まりとなっておる。それを彼の者は、出入り自由を相許され、あまつさえ社中をつくり、日本人に蘭学を伝授いたしておる。
 長崎奉行はお役目を何と心得ておるのか!
 彼の者、社中を通じて、日本国の秘事を手に入れているとの報告も、さる筋から上がっておる。
 常日頃申しておるとおり、鎖国を少しでも緩めれば、亡国の危機を招くことになるのだ。長崎奉行は、それが分かっておらぬ」
 長崎で生まれ育ったオレはよく知っているが、奉行は蓄財のために、あの町にやってきているようなものだ。町年寄の口添えがあれば、幕府の御禁制に触れない限りは、阿蘭陀人のほとんどの希望が叶えられる。阿蘭陀商館からは、奉行の元へ、毎年のように豪勢な品物が贈られるのだから。
「お主、長崎生まれで、長崎屋とも懇意にしておるそうじゃな?
 江戸参府に際しては、長崎屋へ使用人として入り込み、彼の者が行うことを、できるだけ詳細に知らせてほしい。もし、証拠が手に入ればよし、さもなくとも異人と付き合いのある者を通じて、後刻証言を得ることもできるであろう」
 簡単なお役目ではないが、出来ないことでもない。まして、
「お役目の働き次第によっては、家臣に取り立てんでもない」
 と言われちゃあ、断るほうが奇怪しい。
 剣術道場の用人で一生終わるつもりなど、いくらなんでも、ありっこない。お陰で、金もそこそこ溜まったところ。師匠が養子に取った七之助に、気に入られていないということもあり、このお役目、よろこんで引き受けることにした--。
                   *
 小吉は蘭学などに興味はないが、男谷精一郎に誘われるままに、
(阿蘭陀人の見物でもするか)
 と思い、長崎屋へ出向いた。とはいっても、門のところには番所があり、役人が見回っているから、立ち止まってゆっくり見物することもできない。窓から時折顔を出す阿蘭陀人が、ちょっとでも見られれば見っけ物というところ。
 そんな小吉の目に、一人の男が映った。うろちょろと出入りしているところを見れば、長崎屋の使用人らしい。
(あいつ、町人の恰好をしているが、本庄辰輔じゃあねえか。
 いや、今は井上道場の用人だ、そんなことはあるめえ。オイラの見間違いだろう……)
 と思い、いささか気にはなりつつも、その場を離れた。
続く

2005/12/7

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