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第59回

第六話 足洗え屋敷……海舟、謎の印籠を所持すること(後編)
(一)

「……で、井上伝兵衛はどうなりました。印籠の行方は……?」
「乙羽クン、慌てるんじゃあないヨ。ゆっくりと話してあげるから」
 例によって、私は、いくらか気ぜわしく話の続きを催促した。それを制した海舟先生は、カヘー(珈琲)を、うまそうに啜り、一呼吸置く。こちらの興味を高めるには、いかにも上手な間合いだ。
 秋の雨音が、しばし沈黙の伴奏を演ずる。
 手炙りしかない部屋の畳からは、底冷えが上がってくる。私もカヘーをご相伴して、身体を中から温めた。
「さて、どこまで喋ったかナ。
 ああ、天保九年の井上伝兵衛の闇討ちまでだった。
 井上先生は、さすがに剣客だ。その場では息を引き取らず、刀を杖に近くの自身番に転がり込んだ。
『車坂の井上だ……』
 と虫の息で告げてから絶命した、というから、剣で鍛えた人は違うものサアネ。この井上先生の闇討ちは、剣客仲間だけじゃあなく、当時巷の大した話題にもなったものサ。
 オレはその頃十六歳で、まだ男谷の小父のとこで、剣術の修行を始めたばかりサ。オヤジが島田虎之助先生に初めて会ったのも、確かその時分だ」
「お父上や男谷、島田両先生は、何かおっしゃっていましたか?」
「見る人が見れば分かるんだネエ、オヤジも小父も、口を揃えて、こりゃあ一人で殺ったんじゃあない、少なくとも三、四人の仕業だろうって言ってましたヨ。
 島田先生には、まだお目に掛かっていなかったから分からないが、きっと同じようなことをおっしゃっただろう」
 次は、話の順序として、印籠の行方を聞かなければならない。
「例の印籠は、養子の七之助が、井上先生の形見として引き継いだ。だが、ご養子は剣術一筋の朴念仁だ。井上先生が大事にしていたことは知っていても、あの印籠の価値などは分かりゃあしない。一周忌の頃には、もう自分の腰にぶら下げていましたヨ。『きれいだろ』なんて言って、皆に見せびらかしてネ」
「それじゃあ、その頃に、鳥居甲斐守がほしいといえば、渡していたかもしれませんね?」
「そうさね、でも目付のしごとが忙しいころだ。印籠のことなどにかかずらわっている暇などはなかったろうヨ。例の本庄辰輔でさえ、長崎会所の不正を暴くために、旅に出されたくらいだから」
 そうだ、肝心の犯人の辰輔のことを聞くのを、忘れていた。今の先生の話で、きっかけが得られたようなものだ。
「それじゃあ、辰輔は、司直の手には渡されなかったんですね?」
「ウム」と言って、先生はまた一口カヘーを啜る。
「それどころか、段々と出世して、鳥居の一の寵臣とまで言われるようになった。
 次の機会には、それを話して上げよう」
 と言うのは、今日の話はおしまいという合図だ。
 辞儀をして、私は社に引き上げることとした。
                   
 俥で戻る頃には、しとしと降っていた雨は、本降りに変わっていた。銀杏の落ち葉が三、四枚、博文館前のペエヴメントに雨で張りついている。店屋造りの社屋には似合わない、モダアンな光景に目をやりながら、社の入口をくぐった。
 手近にあったモノの本で、この事件のことをざっと見てみると、海舟先生の記憶の良さに改めて驚かされた。
 井上伝兵衛の闇討ちが、天保九(一八三八)年の十二月二十三日、もちろん旧暦だ。この日、もし小雨が降っていなくとも、事件の起きた午後十時ごろには、まだ月が顔を出していない。辰輔は、よもや顔を見られるとは思ってもみなかっただろう。
 先生の父上が、島田虎之助と出会うのは、おない年の十一月、男谷道場でのことだ。確かに、油堀にあったという島田道場は、まだ存在していない。
 さて、鳥居甲斐守耀蔵のことだが、目付に就任したのが前年のこと。目付として〈谷中感応寺事件〉や〈長崎会所改革〉〈江戸湾備場見分〉と、さぞや多忙な日々が続いただろう。こんな時に、道楽の印籠のことなど、追跡している暇などなかっただろう。
 むしろ、印籠を是が非でも手に入れたいと執念を燃やし続けていたのは、辰輔の方ではないかと思われる。
 先生に今度お目に掛かるまでに、その辺りを調べておこう。
続く

2006/1/25

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