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第六話 足洗え屋敷……海舟、謎の印籠を所持すること(後編)
(二)
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天保十年十二月二十三日は、井上伝兵衛が闇討ちされてちょうど一年目。仏事では一周忌ということになるが、剣術道場は〈年忌の一本勝負〉を行い、死者の霊を慰める。
車坂の道場でも、稽古に来ていた門弟や師範代格の剣士などが集まり、勝負の真っ最中。
道場正面の香取・鹿島の神を祭った上座には、客として江戸の直心影流道場主らが居並ぶ。亀沢町の道場から来た、精一郎の顔も見える。
板敷きの稽古場では、参加者が紅白二組に分かれ、それぞれから一人ずつ登場。竹刀を合わせて勝負を行う。
この勝負の行司をしているのは、珍しく裃姿に身を包み、神妙な顔つきをしている小吉だ。
勝負が終わり、別室で精進落としの酒宴となった。
接待役は、もちろん、この道場を継いだ小柳七之助--いや、これ以後は井上七之助と呼ぼう。腰では、諸道場主へ酒を注ぎに動くつど、義父の形見〈星座〉蒔絵の印籠が揺れる。
「勝さん、本日はお手数をお懸けしました。お陰で盛会となり、故人もさぞや喜んでいることでしょう……」
注がれそうになった酒を、片手で断った小吉は、
「二百数十人も集まったから、勝負もなかなか面白いものがあった。けれども、これからは、七之助さん、いやさ井上先生、稽古をみっちり頼みますぜ。オイラもできるだけのことはするから」
と、先代が道楽にかまけて、稽古をおろそかにしたことを皮肉った。
内心では、
(藤川鳴八郎先生の年忌の時は、五百八十余も集まった。やはり、大名や大旗本を大事にする〈世渡り上手〉が、かえって人望を失わせたか……)
と、もっときついことを考えていた。
「ところで、用人の本庄は、どこへ逐電したのかのう?」
酔って遠慮のない大声が、一座のどこかで上がった。
「そうそう、あやつが先生を殺めたのは明々白々。だのに江戸をまんまと逃げおおせたのは……」
別の男が、声をひそめて続けた。
「……目付の鳥居が、逃走に手を貸したとか……」
「その話は、ここではまずかろう。
井上新先生! 伝兵衛殿のご舎弟が、仇討ちに名乗り出たとか聞いているがのう」
一座の話は、すっかり仇討ちのことで盛り上がり始めた。
七之助が仇討ちをすることに批判的なのは、どうやら一座では、小吉と精一郎だけらしい。二人は、先日も、仇討ちより道場を立て直す方が先決だ、と話し合ったばかりである。
「ええ、熊倉伝之丞という松山藩に養子にいった叔父が、息子の伝十郎とともに藩を立ち退いて、仇討ちに旅立ちました。既に、口上書を差し出した上、〈敵討帳簿〉にも記帳していただき、正式な仇討ちとして、幕府にもお認めいただいております。
この場を借りて、皆様にそのことをご報告いたしておきまする」
「やんや、やんや」と、もてはやす声。
「して、お主は?」と、尋ねる声には、
「拙者は、道場のことがありまする故、弟子たちの修行が、軌道に乗ったその上で、叔父たちとともに仇討ちに力を入れる所存。
皆様方のお力添えを、是非いただきたいと存じまする」
七之助、こう答えた。
「チィ」と小さく舌打ちしたのは小吉。
「弟子たちの修行、と言われたが、どのようになさるお積もりか?」
と、真っ正面から問いただした精一郎、
「それは、また後日、皆様方の道場をうかがった上で、ご相談……」
との七之助の返事に、(もはや、これまで)とその場は収めた。
「精さん、みんなは面白がって仇討ちをけしかけるが、本当にそれでいいのかえ? オイラァあ、無学でよくは分からねえが、何だか違うような気がしてならねえ」
〈年忌の一本勝負〉が終わってから数日が経った。男谷道場の奥の一間には、小吉と精一郎しかいない。
「小吉っつあん、あなたの言うとおりだよ。仇討ちなんていうのは、旧弊な習慣だ。考えてもごらんな、仇討ちで生まれるのは、討たれた側の恨みだけだ。これからの幕府は、そんなものは禁止するぐらいの心づもりでなけりゃあ、やっていけないよ」
精一郎は剣客であるばかりでなく、将来を見通すだけの柔軟さや明敏さをもっている。ちなみに、麟太郎に蘭学を勧めた一人に、この男の名が挙げられている。
「オイラも、そう思う。それに、あの剣術のザマじゃあ、一時は天下に轟いた井上道場の名が泣くぜ」
そう、小吉の言うとおり、一時の井上伝兵衛は、二人の師・団野源之進と直心影流の宗家相続を争ったほどの、腕の持ち主であった。
「先日の話どおりに七之助が、この道場に来たら、そう意見してやりますよ」
「おお、そうするがいいや」
との二人の話に反して、七之助はすっかりその気になっていた。 |
続く |
2006/2/1 |
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