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第61回

第六話 足洗え屋敷……海舟、謎の印籠を所持すること(後編)
(三)

 仇討ちを煽ったのは、諸道場主だけではない。
 まだ道場訪問を始めてもいない、〈年忌の一本勝負〉の翌日に、七之助を訪れてきた小松典膳が、その急先鋒である。
 典膳は、伝兵衛の弟子で、大和国十津川の郷士。「師の闇討ちを聞きつけ、その足で江戸に出ようとしたものの、路銀がなくて今まで掛かってしまい、とうとう年忌にも間に合わなかった」と涙ながらに、七之助に悔しさを訴えた。遅れを取ったことが、かえって、この男を急進的にしている。
「今直ぐにでも、一緒に本庄の足取りを追おう」との強催促に、七之助の心は強く動かされた。けれども、典膳のように感情だけではなく、道場主としてのそれなりの計算もある。
「仇討ちが成功すれば、道場とともに自分の名が挙がる」という計算である。
「小松さん、それでは、まず江戸での足取りから追いましょう。今日はもう遅いから、明日からでも早速に取りかかり……」
 ということで、意見すべく待っていた精一郎は、すっかり〈しょい投げ〉を食わされる形となったのである。
                   
 その頃、本庄辰輔は、鳥居耀蔵から与えられた密命を果たし、長崎を発って江戸に向かっていた。
 去年の今頃、伝兵衛を闇討ちし、鳥居屋敷に駆け込んだ辰輔は、
(もう、これでオレの命は終わった)
 と覚悟していた。
 印籠を手に入れられず、耀蔵の期待を裏切ることになった上に、師匠と三人の浪人、一人の女まで殺め、火付けを一件行っているのだ。
 もし、町奉行所へ突き出されたら、獄門は免れまい。
 そっと上げた辰輔の目に写ったのは、青筋を浮かべているが、唇を何やら笑みのような形にした耀蔵の表情であった。
(嘲弄なのか、それとも……)
 との思いを、甲高い声が貫いた。
「本庄、お主の失態、万死に値いいたす」
(やはり獄門……)
「……されど、特別に、これを相許す。
 本庄、お主の命は、ワシが預かった。いつでも返せることを、一刻も忘れるでないぞ」
「ハハッー!」
 辰輔は、畳にめり込むほど頭を下げた。
 耀蔵は、こうして、今後の使命に役立つ、忠実な部下を手に入れたのである。
「お主を江戸から抜け出させるのが先決。
 ワシの家来とのお墨付きを与えよう。さすれば、お上の御用として堂々と江戸を出ることができよう。
 そうじゃ、この際、適当な別の名を名乗るがよい。何かあるか?」
 辰輔は、浪人どもの所で使った偽名を思い出した。
「それでは、平野茂平治、と……」
 言いながら上目遣いに耀蔵を見ると、すでに青筋はすっかり消えていた。
(命が助かったのは、夢じゃあなかった!)
 安心の余り、辰輔の腰は抜けたようになり、
「よし、よし。それでは、御用を申し伝える」
 と、長崎行きの密命を下され、
「命に掛けましても……」
 と退去するときも、ふらふらとして、やっと立ち上がったぐらいである。
 長崎は、自分を追い出した土地でもあり、自分から捨てた土地でもある。その地で、かつての知り人や縁戚やらの不正を暴く使命に、奇妙な巡り合わせを感じる辰輔、いや茂平治であった。
                   
 長崎会所不正の証拠をすっかり握り、茂平治は日見峠を越えた。
 十八歳の時を思い出し、茂平治は町にアカンベエをしてみた。けれども、ちっとも嬉しさが浮かんでこなかった。
 もう一度アカンベエをした。今度は目の奥から熱いものが吹き出してきそうだった。茂平治は、何かを振り払うように踵を返すと、急ぎ足で峠を下っていった。
続く

2006/2/8

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