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第64回

第六話 足洗え屋敷……海舟、謎の印籠を所持すること(後編)
(六)

「典膳、お主がついていながら、なぜむざむざと七之助を返り討ちにさせた!」
 主人を二人ともに失った上野車坂の道場は、今は故伝兵衛の弟・熊倉伝之丞が預かっていた。
 七之助がいなくなり、これといった頼りが江戸にいない小松典膳は、この道場に居候するしかない。けれども、酒が入ると、必ず伝之丞は、板橋宿での典膳の失態を、ネチネチと責める。
「父上、もうその辺でお止めになれば……」
「何を止めろというのだ、酒か? 酒ならまだ飲むぞ、これが飲まずにいられるか! 兄と義理の甥を失うような、だらしのない男は、酒を飲むしかすることがないわ!」
 息子の伝十郎が止めるのもきかず、また杯に手を伸ばす伝之丞。
「それにしても、典膳、お主がついていながら、なぜむざむざと七之助を返り討ちにさせた!」
 我慢に我慢を重ねてきた典膳も、今日何回目になるか分からない、この科白に、
「それならお主は、何をしておる! ただ酒を飲んで愚痴るだけで、やらねばならぬことを、少しもしておらんではないか!
 えい、そんなにワシが目障りなら、出ていくまでよ!」
「ああ、出ていけ、出ていけ! お主に食わせる米など、当家には一粒もないわい!」
 売りことばに買いことば、本来なら協力して仇討ちをしなければならない二人は、茂平治の巧妙な身の守り方に焦(じ)れて、喧嘩別れをするはめに陥った。
「典膳どの、父をお許しください。なかなか手だてが見つからないので、イライラしているのです」
 伝十郎は、玄関で、典膳を宥(なだ)めるのに必死だ。
「イラ立っているのは、拙者も同じこと。拙者は拙者で手だてを講ずるゆえ、今しばらくは別々の道を歩もうと存ずる」
「申し訳ありません、このようなことになってしまって。
 もし万が一のことあれば、道場に今しばらくいると存じますので、ご連絡をお願い申し上げます」
 伝十郎は、今後のこともあるので、頭を下げてひたすら頼み込んだ。
 小松典膳を詰(なじ)った手前もあり、酒を止めろとの息子の意見もあり、次の日から、熊倉伝之丞は、鳥居屋敷を毎日のように見張ることにした。
 けれども、さすがに南町奉行の屋敷。奉行所の役人だか、鳥居の家臣だかが常に目を光らせ、怪しい者が近づくことを阻んでいる。
 茂平治自身は、どうやら常に駕籠を使って外出するらしく、その影さえ見ることができなかった。
                   
 茂平治も苛立(いらだ)っていた。
 用心深く、警護の侍をつけ、垂れを下ろした駕籠で外出するのだが、常に誰かの目を感じる。
 見知った顔ではないが、
(井上伝兵衛の弟で伊予松山藩に養子にいったとかいう熊倉伝之丞か、弟子の十津川浪人・小松典膳あたりだろう)
 と目星をつけている。仇を討たれるのは嫌だが、
〈こいつらがいる限り、印籠のための屋敷をつくることができない〉
 というのが、今の茂平治にとっては、もっと困ることだ。
(えい、六人も殺しているんだ、これが七人になったところで……)
 奉行所は、悪人をあえて捕まえずに、その道の情報源にしている。茂平治は、このような手合いに金をやり、熊倉伝之丞を殺ることに成功した。
(やはり、金の威力だ! 前のように直接手を下さずとも、人一人ぐらいはあっさりと消すことができる……)
 これが癖になったのか、茂平治は、次に伝之丞の息子・伝十郎と、小松典膳殺しを計画し始めた。けれども、伝之丞殺し以来、付きまとうような目を感じることはなくなった。
(これで、敵討ちは諦めたかもしれぬ。よし、殿様に申し上げて、屋敷地をご手配いただこう!
 待っていろよ、もうすぐ、お前にも家を持たせてやるからな……)
 と、茂平治は〈星座〉蒔絵の印籠を、優しく撫でさすった。
続く

2006/3/8

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