下町探偵団ロゴ万談ロゴ下町探偵団ハンコ
東京下町Sエリアに関連のある掲示板、コラム・エッセイなどのページ
 トップぶらりグルメくらしイベント交通万談 リンク 

下町音楽夜話

◆第19曲◆ ゆりかごの猫
2002.11.02
 江東区は南北に移動するには、バスに頼るしかない。しかしそのバスもなかなか都合のいいようには走っていなくて、ついついタクシーを使ってしまう。昔は千葉県の新松戸から江東区まで自転車で通っていたこともあり、脚力には自信があったのだが、3年前に腰をひどく痛めてからは、ずいぶんタクシーのお世話にもなるようになった。

 先日イベントの準備で早朝に乗り合わせたタクシーのドライヴァーが、「こんなに早くから仕事か?」と訊くので詳しく説明するのも面倒に思い、「もっと家にいる時間が欲しい。」とだけこたえたところ、楽しげに「カミナリオヤジは家に帰っても子どもたちに煙たがられるだけなのだが、それはそれでいいのだ。」と言った。煙たいぐらいに存在感があればまだよいというのか。「たしかにカミナリオヤジが家にいると煙たいかも知れないが、加えて近所の子どもが悪さをしていると叱りとばしてくれるコワイオバチャンも、ついぞ見なくなった。」と返したら、大笑いしていた。何かを思い出しているのか、肩を震わせていつまでも笑っていた。

 ハリー・チェイピンは日本では全く人気のないシンガー・ソング・ライターの一人だ。紹介されるときは大抵「社会派のシンガー」と書かれている。この言葉の意味はどうもよく判らない。幸先よくデビューしてからヒット・アルバムが続き、4枚目のアルバム「ヴェリティーズ・アンド・バルダーダッシュ」は全米第4位にもなった。その後は慈善活動やチャリティ・コンサートに精を出し、ツアーに明け暮れていたようだが、そんな彼も1981年にロス近郊のハイウェー上で謎の事故死を遂げている。しかしハリー・チェイピン基金は、共感を覚えた人々の手により、いまだに活動を続けている。「社会派」とは決して善人を指す言葉ではない。それとも行動を起こすと「社会派」になれるのか。どうもよく判らない。

 彼の全米第1位になった最大のヒット曲「キャッツ・イン・ザ・クレイドル」は直訳すればゆりかごの猫ということになるが、とても印象的なメロディにのせて、奥方の書いた詩をベースにした、ちょっと考えさせられる内容が歌われている。子供が生まれ、父親が知らない間に歩き方を覚え、10歳の頃はキャッチボールをしてくれと言われても「また今度ね」と言って済ませてしまう。大学生のころには、少し話さないかと声をかけても車のキーを貸してくれというだけ、自分が退職してからは子供も独立してしまい、遊びにおいでと電話しても、仕事が忙しいだの子供たちの具合が悪いだのと言って断られる。子供の頃、「お父さんのようになりたい」と言っていた子供が、大人になって自分とよく似た人間になってしまったと感じ、寂しく思う。・・・どこにでもある光景なのだろうか。リフレインの部分はこう歌っている。「ゆりかごの猫と銀の匙、少年の憂鬱と月に降り立った人類。お父さん、いつ帰ってくるの?わからないけど、必ず帰ってくるから、その時遊ぼうな。」どうです?なかなか難しいでしょう。アメリカの良心とも言われる彼は、音楽一家の家族とともに活動していた。また1977年には「ダンス・バンド・オン・ザ・タイタニック」という、やはり妙に心に残るアルバムもリリースしている。ぜひとも聴いてみて頂きたい。

 さて、加えて彼の最初のヒットが「タクシー」という曲なのだ。雨の日に昔の彼女を乗せてしまったタクシー・ドライヴァーの心のさざめきを、巧みな韻を踏んだリフレインで綴っている。彼女は女優志望で彼は大空を志したが、現在の彼女は暮らし向きはよさそうだが悲しげで、彼はもちろんタクシーを転がしている。多めにチップを手渡して降りていく彼女に、心が石のように冷えてしまう彼。ハリー・チェイピンの言葉は、まるで情景が見えるかのように、人の心の微妙な動きを表現する。

 乗り合わせたタクシーのカミナリオヤジに思いを馳せてここまで書いたわけではないが、タクシーは一度はやってみたいと思っていた職業ではある。もちろん不規則勤務だったりして体もきついだろうし、事故や強盗の危険性もある、それに気分のいい客ばかりではないであろうことも想像がつく。決して楽な職業ではないことは理解している。リュック・ベッソン監督の「TAXI」ほど楽しめる自信はないし腕もない。しかし「タクシー・ドライヴァー」でロバート・デ・ニーロが演ずるトラヴィスのように、タクシー稼業の傍ら、日記を付けながらあれこれ考えを巡らすことには、いまだに憧れている。もちろん時代が作らせた稀代の名作は、ヴェトナム戦争やさまざまな背景があってこそ意味を持つのだが、今の自分には、むしろ意味など何もない方がいいのだから。