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下町音楽夜話

◆第22曲◆ ロードスターでブルース・ロック
2002.11.24
 最近は季節感のない生活を続けているので仕方ないのだが、二十四節気自体ずいぶん昔とずれてしまっているようだ。それにしても歳時記的なものの実感がない今日この頃だ。それでもお正月には、亀戸の七福神めぐりにかこつけてウォーキングをしたりもする。そして秋口には、キンモクセイの香りを嗅ぎつけ秋になったと騒いだりもするし、春は下町周辺の桜並木がどこにあるか、ある程度は頭に入っていて、桜吹雪を浴びに出かけたりもする。こういうことに興味を持ったのには理由がある。数年前マツダのロードスターという車を手に入れたことがある。オープン・ツーシーター、つまり屋根のない2人乗りの軽快な車で、街中を走っていると、実に季節を感じるのだ。鳥のさえずりが直ぐそばで聞こえ、万物の香りが直に鼻孔をくすぐる。五感が数倍鋭くなったような錯覚に陥ると言えばご理解いただけるか。一年半という短い期間だけだったが、乗っておいて良かったと、非常に強く思っている。

 「親不孝車」という呼び方を自分は好んで使っていたが、つれあいは自分がその車を欲しそうに自動車雑誌を眺めていた頃に、「買わないと一生後悔するよ」と言って、背中を押してくれた。このクルマに乗っていた頃は、親を連れて出かけるときはレンタカーを借りる破目になったが、それはそれで楽しい日々であった。いろいろな車に乗ることができたから、不便どころかとても楽しい思いをした。親は以前から「また違う車に乗っている」などと言っていたが、そのうち何も言わなくなった。多分呆れ果てたのだろう。もらい事故でこの車を手放すまでは、毎日、毎日、楽しくて仕方なかった。

 ではなぜ修理してでも乗り続けなかったのか。それは正直言って、疲れたのだ。楽しいことをしていても、常に他人の注目を浴びていると、ほとほと疲れるものなのだ。もちろん、それは視覚が数倍鋭くなっていて、通りを歩いている人間がこちらを向いただけで、見られているという錯覚に陥っているだけなのだが。まあしかしブルー・メタリックの派手なボディだったし、少しは人目もひいてはいたであろう。件のもらい事故をきっかけに、シルバーの地味なハッチバックに買い換えた。実は自分はめったに車検を通さない。その前に買い換えてしまうのだ。下取り価格もそこそこのうちに買い替えていると、維持費は少なくて済むし、常に新しい車に乗っていられる。最近では安全面での進歩が特に著しく、助手席に大事な人間を乗せるのであれば、古い車を選ぶ理由はない。周囲からは贅沢者と呼ばれるが、趣味はと訊かれて「音楽とクルマ」と答える自分にとっては、絶対に譲れない自己主張の一つだ。

 ロードスターに乗っていた頃は、親不孝の贅沢者というわけだから、あまり他人には知らせなかった。しかしいつの間にか、周囲の人間は皆知っていたようだ。面白いものだ。自分では一点豪華主義のつもりでいても、他人にはそうは映らないのであろう。自分は他人にどう思われようが一向に構わないのだが、こういったものに付き合わされる、地味好みな性格のつれあいは、多分にシンドイだろう。少し気の毒に思う。

 さて、先輩のA氏は、一緒にコピーバンドを組んだこともある音楽好きの野球好きの酒好きである。たまに我家にやって来ては、あれを聴かせろ、これをかけろと注文し、ヘロヘロに酔っ払いながら浴びるように音楽に浸り、薀蓄をたれ、「ここは俺のオアシスだな」などとのたまう。実に個性的な人間だが、ともあれ、家族おもいの好々爺予備軍だ。このA氏と一緒に行ったミック・テイラーのライブは、演奏の素晴らしさを別にしても、鮮明に記憶している。ローリング・ストーンズに在籍したこともあり、ブルース・ロックを弾かせれば世界でもトップクラスのミック・テイラーは、何故だか日本ではあまり人気がない。2000年の秋に来日したときも、渋谷のクラブ・クワトロなど小さなハコでのみライブを披露した。何とも不思議なのだが、ホールでは客席が埋まらないのだろうか?そしてA氏と一緒に見た渋谷のライブは、あまりにも素晴らしく、あっと言う間に終演を迎えた。

 ライブのあと、ほろ酔い加減のA氏を「送りますよ」と言って、知らせていなかったロードスターに乗せ、冷え切った夜の都心を、オープンで流した。最初のうちは「おい、おい」とか呆れ顔でいたが、しばらくして横目で見たA氏の顔は完全に蕩けていた。暖房を強く効かせていれば、真冬でも寒くない。風もさほど巻き込まないので、頬はパリパリになるが露天風呂のように心地よいのだ。BGMはもちろん、ミック・テイラーだ。「レッド・ハウス」をはじめとしたコテコテのブルース・ロックは、都心の夜の空いた道を流すときには、思いのほか染み入ってくる。多分このときの記憶は、ギブソンのレス・ポールで紡ぐ粘っこいフレーズとともに、A氏の脳の側頭葉に刷り込まれてしまったようだ。自分としてはちょっとしたイタズラ心だったのだが、A氏の一つ話に加わった模様だ。