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下町音楽夜話

◆第59曲◆ ピアノマン
2003.08.09
ビリー・ジョエルは、自らはピアノマンと名乗っていたピアノの名手である。しかし周囲からはニュー・ヨークの吟遊詩人という扱われ方をしていた。1970年代のニュー・ヨークの片隅で健気に生きる人々の日常をヴィヴィッドな感性で綴った歌詞は確かに魅力があり、メディアの注意は詞に向いても仕方が無かったのかもしれない。1980年代は精力的にアルバムをリリースし、ヒットチャートを随分賑わせた。「オネスティ」や「ロンゲスト・タイム」など自分も大好きな曲が随分ヒットしたし、ロックン・ロールをやらせても、素晴らしいバンド・メンバーとともに、実にいい演奏をした。エルトン・ジョンとともに行ったツアーは、相手が明るすぎてどうもただの引き立て役になってしまい、あまりいい思い出ではないようだったが、いずれ劣らぬ名ロッカーであり、名曲の作者であり、名ピアニストである。二人とも、とても真面目な人間で真摯に様々なことに取り組んでいることが、実は魅力にもなっていることも、あまりメディアは書かない。

ビリー・ジョエルが旧ソ連で行ったコンサートは「マター・オブ・トラスト」というタイトルでヴィデオでも発売され、好評を博した。1987年というペレストロイカ前夜とも言うべき時期のみに為し得た、絶妙なものではある。両国の人間の実に微妙な心の動きを見事に捕らえたカメラワークによるところも大きいが、音楽モノのヴィデオとしては名作中の名作である。徐々にロシア人と打ち解けていく姿や、ソ連のテレビ番組の収録で、クラシック・ピアノの素養をチラッと覗かせ、観客を驚かせたりもしていて、微笑ましくもある。ステージでは、勝手が違い随分苦労したようだが、それもトコロ変われば、という感じで面白く見ることができる。また名曲「レニングラード」の歌詞の歌い出しに出てくるヴィクトルという男も登場する。まだ冷戦状態を引きずっていた米ロの国境を越えて、音楽が友情の糧になり、人々の心を暖かくする。生身の人間同士が交わす心の交流は、言葉も通じない上に全く異なった環境で育った者にとって、決して容易ではない。こういった異文化交流のちょっといい話は、よくあるものではあるが、ビリー・ジョエルのように、兎にも角にも最初に実行するということは、並大抵の努力では為し得ないと思う。

現在はクラシック音楽の方に行ってしまったが、彼はもともとそうすることが目標だったのだろう。それだけでも単純なロッカーとは大違いかもしれないが、彼のピアノの音は、ある意味心に響く音をしている。彼のピアノ・コンチェルトの第一作目は、驚いたことにと言うか、残念なことに自分でピアノを弾いていない。リチャード・ジューという確かに上手いピアニストが弾いているので、それでも楽しめるのだが、やはり彼の手になる演奏を聴きたかった。思うにピアノの演奏はテクニックだけではない。この打楽器(ピアノは大きな箱の中に高い張力で渡してある弦をハンマーで叩くので、打楽器なのである)は、純粋に西洋の音がする。東洋的な音をピアノで表現することは非常に難しい。坂本龍一のように、個性を打ち出す手段として和旋律をピアノに持ち込むことは出来ても、彼の音楽の本質は西洋音楽以外の何物でもない。ビリー・ジョエルがリチャード・ジューを起用したことは、その西洋的な本質を東洋の感性や精神的な部分で無国籍的にする試みもあったかも知れない。部分的には成功しているかもしれないが、おそらくそこまで踏み込んで聴く人間は多くはないはずだ。ちなみに自分はピアノの高音が大好きで低音が大嫌いだ。従って左利きに多い低音のアタックが強いピアニストは、生理的に受け付けない。そのことだけで、繊細さを欠く人間を見ているような不快感を覚える。ビリー・ジョエルは、幸い低音をあまり使わない。せっかくだから本人が弾き、高音寄りの音質で録音して発表して欲しかった。

1981年発売の「ソングス・イン・ジ・アティック」、すなわち天井裏の曲たちというタイトルを持った、大好きなライブ・アルバムがある。「ストレンジャー」「ニュー・ヨーク52番街」「グラス・ハウス」と大ヒット・アルバムを連発した後にリリースされたにも拘らず、ヒット曲を全然収録していない、ひねくれたアルバムである。注目と評価はされていたもののヒットに恵まれず、言うなれば下積み時代にリリースしたアルバムに収録されていた旧曲なのだが、本人にとっては大事な曲だったのであろう。これらの曲は、いずれも懐かしさとほろ苦さのような感情が渾然となったもので、シングルでヒットすることは難しいかも知れないが、アルバムを通して聴くと一番印象に残ってしまうような、好ましい曲ばかりである。ここでの彼のピアノは、先ほども書いたように音の重心が高音寄りにある。低音の要素が少ないそのピアノの音が、結果的にノスタルジーと結びつくのか、絶妙の快感とともに、遠い目をしてしまうような心に響くものを持っている。

彼の音楽の魅力は、どうしても歌詞によるところが大なのだが、その都会的なセンスの叙情的部分に、人間の根源的な魅力が見え隠れする、やはり絶妙なものであると思う。ユダヤ系の血がそうさせるのか、人と人の繋がりのようなものの大事さを根底に持っていなくては、あの歌詞も生きてはこない。人を愛する心をしっかり持っているからこそ表現できるものが、そこにはある。その部分が多くの人々の心を、無意識的に捉えたのではないか。東京よりも江戸と言うべきだろうが、そこの下町に暮らす人々の機微を闊達に描いたものに古典落語がある。そこに登場する人々の何と人間くさいことか。貧しくとも生き生きとし、体温を感ずる人間の愛憎に満ちた、それでいて何ともいとおしい庶民の人間くささは、洋の東西を問わない魅力がある。ビリー・ジョエルの歌に、古典落語に通ずるものを見出すとまでは言わないが、同じ理由で心に響くものがある気がしてならない。ビリー・ジョエルの意識下には自己の再発見という目的があったのかも知れないが、古典落語の叙情性に通ずる表現能力があったからこそ、世界中の人間の心に響いたのだと思う。