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下町音楽夜話

◆第93曲◆ ミスター・ジョンソン
2004.04.03
エリック・クラプトンの「ミー・アンド・ミスター・ジョンソン」が発売された。即刻買いに行き、しばし聴きまくった。御大のアルバムに関してはいつもそうなのだが、まずがっかりさせられるのである。どうしてこんなアルバムを作ったのか疑問に思ったことは過去に何度もある。ブルース好きの一方で結構実験好きなところがあり、電子音やコンピュータ・リズムが耳障りなアルバムを幾度となく発表し、またかとがっかりさせてくれる。しかしギターの神様がやることに、リスナーがついて行けてないだけと思われるのか、時代が彼の音楽に擦り寄っていくことになり、時間が経つと素晴らしい作品として受け入れられるのだから、大したものだ。このアルバムもきっとヒットするであろう。

さて今回のアルバムは、タイトルからも判るようにロバート・ジョンソンの作品集である。クラプトン自身も過去に何度も採り上げているこのブルース・レジェンドは、女ぐせが悪く26歳で毒殺されたというブルースそのもののような人生を送った男である。十字路で出会った悪魔と取引をし、魂と交換にギターの技術を手に入れたと歌う人間だけに、時代を超えて多くのギタリストに影響を与え続けている。かく言う自分も随分コピーをし、憧れたものだ。

さてこのアルバム全体に言えるのは、実に都会的でゴージャスな演奏であるということである。自分はそこが非常に不満なのである。本来ブルースにはいろいろなタイプがある。ミシシッピー川のデルタ地帯を中心とした米国南部の綿花地帯で黒人奴隷たちが歌っていたものが源流にあるだけに、その原点に近いものから、北部のシカゴあたりまで流れ着き、都会的に洗練されたアレンジで聞かせるものまで様々である。その中でもロバート・ジョンソンの実際に残されたオリジナルの音源は、すべてギター1本での弾き語りによる実にプリミティヴなものであり、都会的な要素は全く感じられないものである。そのため、素材としてのロバート・ジョンソン・ブルースに都会的アレンジを加えたり、ゴージャスな雰囲気で演奏することに関してはどうしても違和感が拭えない。

自らの魂と交換したとまで言われるロバート・ジョンソンのギターは、1936−37年という時代からしてよく音源が残っていたものだと言うべきだが、やはり音質を云々できる代物ではない。しかしまるで二人で演奏しているように聴こえるそのギターはリードもバッキングも巧みに操り、歌いながらリズムを外すこともなく完璧に演奏する。残された29曲のうち、約半数はテイク2が残されているが、どの曲もいずれ劣らず素晴らしい。どのみち一発録りなのだが、当然ながら録音技術が飛躍的に発達した戦後とは大違いである。しかし、プリミティヴなブルースはこの程度の音質でも十分に聴くに耐え得るものであり、むしろその方が心地よいものでもある。

それに対してエリック・クラプトンの演奏は、当然ながら現代でも最高レベルの録音技術で収録されているであろうから、音質的には一切文句ない。ただ音がきれい過ぎることも違和感を覚える原因になっていることは事実である。ノイズだらけの音源とモノクロ写真に写った正装したミスター・ジョンソンが、薄暗くて土埃の匂いがするジューク・ジョイントの朽ちた床を踏み鳴らしながら、悪魔のような笑みを湛えて演奏する姿を想像してきた身としては、まるできらびやかなカクテル・ラウンジかどこかで演奏されているようにしか聴こえない。ミスター・クラプトンの音質に違和感を覚えて当然なのである。誰が何と言おうと、デルタ・ブルースは都会的なスタイルで演奏すべきではないのである。

このアルバムの5曲目には、「トラヴェリング・リヴァーサイド・ブルース」が収録されている。クレジットからすると、この曲のみリズム隊が異なり、ジム・ケルトナーとピノ・パラディーノが起用されている。他は全てスティヴ・ガッドとネイザン・イーストの2人が受け持っているので、何故にまたと気になるのだが、聴いて納得してしまう。これは相当に苦労したなという形跡が見られるのだ。この曲に関しては、レッド・ツェッペリンのキレまくったカヴァーがあり、当然ながらエリック・クラプトンも聴いているとは思われる。オリジナル・アルバムには収録されなかったものの、ジミー・ペイジのギターがとり憑かれたように猛烈なスピードで唸りを上げるこのカヴァーを超える演奏はそう簡単にはできない。

一方で自らが世界的に名を上げたスーパー・トリオ、クリームでカヴァーした「クロスロード(・ブルース)」は収録されていない。この曲は過去の自分が音楽史に残る名演奏を残しているので、あえて繰り返す必要もなかったか。正しい選択だったような気もする。ライブで何度も聴いているのだが、スイング・リズムでこの曲を演奏するようなことは止めて欲しい。折角の素晴らしい素材を前にして、小手先でいなしているような不信感にも似た感覚があっていけない。

さて下町にも当然ながら春がやってきた。年度が切り替わるころ、多くの桜が咲き乱れ、緑道公園や親水公園にピンクの絨毯が現れる。以前は入学式のころに桜の花びらが散っている景色が見られたのに、最近では卒業式の頃には開花してしまう。自らの環境変化にあたふたとしている人間が、地球環境の変化にふと気がついた瞬間に、何かしなければと思えれば、それはそれで意味があることになる。むしろ忙しくてそれどころではないというのが一般的だろう。過度の都市化がもたらした自然環境の変化が、行き着くところは砂漠化である。「変わらないよさを大切にする心」だけは失いたくない。綿の花の白さを忘れてしまったような都会的なブルースを聴き、ついそんなことを考えてしまった次第である。しかしここまで書いても、好き嫌いは別として、このアルバムは十分に聴く価値はあると思っている。御大の思い入れは、そんな批判など意味もないほどに純粋である。