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下町音楽夜話

◆第112曲◆ ピース・トレイン
2004.08.14
下町でイヴェントを仕掛けることは、案外やり易いのかも知れない。江東区界隈で「下町・・・」とか「江戸前・・・」という文字を被せてイヴェントをやると、それだけで様になるようなところがある。なぜなら、その言外に古いものを大事にしている伝統的な匂いがするからか。それとも少々レトロな雰囲気を楽しめそうな気がするのか。はたまた人情や人とのつながりといったテーマでも独自性を持っている地域だけに、様々な人間がぬくもりを求めて集まるからか。いずれにせよ、楽しそうだなと思わせる何かがあるように思えてならない。

自分は普段から古い音楽ばかり聴いている人間なので、殊更レトロ感を味わうためにイヴェントに参加するようなことはしないが、それでも古いものを大切にする精神性は持っている。あまりに大雑把に括ることに抵抗があるが、コレクター的な性格は女性陣よりも我々男性陣に圧倒的に強いようだ。また自分の場合は物を捨てられない性格の証に、小学校の卒業文集まで手元にある。これでも10数回引越しを経験しているので、その度に荷物を減らそうとして、泣く泣く捨ててきたものも多いのだ。レコードだけはまったく捨てる気はないが、本はあるとき本棚2本分を一気に処分したので、未練がなくなってしまった。最近は読んでは捨て読んでは捨てで、極力増やさないようにしている。

古い音楽が好きと言っても、単に古ければよいというものではない。古いもののなかでも、自分の懐かしい思い出とリンクしているものがいいに決まっている。そんな中でも、子供のころに大好きだったヒット曲で、金がなかったから買えなかったようなものが、一番訴えるものが強いのかも知れない。その典型例の一人がキャット・スティーヴンスである。キャット・スティーヴンスは1970年代前半に多くのヒット曲を持つ、魅力的な声の持ち主である。自分にとっては、生まれて初めてAMラジオから録音したカセットテープに留められた「シッティング」という曲が、圧倒的に好きだった。乾いたピアノの音が少々オフ気味で、力強いヴォーカルとはアンバランスなのだが、後半になるにしたがって演奏と歌唱がかみ合ってくるような展開が、何とも言えず好きだった。

キャット・スティーヴンスは若くして才能を開花させた。10代でヒット曲を持つシンガー・ソングライターとなっても、地に足のついた活動を続けていたことが印象的である。旅立つ娘を思いやる親の気持ちや心温まる人間関係を描き出し、普通のラブソングに留まっていない、また社会が内包する矛盾を歌詞にしたりもし、グラムロックの全盛期に清涼剤のような存在だった。ひとしきりヒットを連発した後、彼はイスラム教に入信する。自分にとっては彼の存在はその時点で終わってしまっていた。だいいちラジオでは全くかからなくなってしまったのだ。

そんな彼のレコードを手に入れたのは、ずっと後の時代、LPがCDに主役を明け渡そうとするような頃だった。中古盤専門店でふと出会った「仏陀とチョコレート・ボックス」というアルバムに収録されたシングル・ヒット曲「オー・ベリー・ヤング」が、自分の意識を少年時代に連れ戻し、やさしさに満ち溢れた彼の歌声に憧れた日々を思い出させたのだ。それからかなり苦労して彼の多くのアルバムを入手していったのだが、その中には「サタナイト」というライブ・イン・ジャパンや「ハロルドとモード − 少年は虹を渡る」という映画のサントラ盤もある。これらは自分のコレクションの中でも、かなりご自慢のアイテムである。といったところで、彼のことを知っている人間が周囲にいないので、自慢にもならないのだが。

他にも名曲と呼べるものがたくさんある。1990年代にミスター・ビッグがカヴァーしてヒットした「ワイルド・ワールド」などは、今更に名曲だと思うし、あのバカテク集団をして、あえてアレンジを変えさせなかった完成度の高さを持った曲である。また最近ではCMで起用されている「雨にぬれた朝」も心に染み入るメロディを持った名曲であろう。そして「ムーンシャドウ」「父と子」「白いバラ」「アナザー・サタデイ・ナイト」・・・数え上げたらきりがない。同時代的にヒット・チャートの常連として売れていた頃の彼を知っていることが嬉しくもある。あの歌詞に共感できる心やさしい時代があったのだ。

そんな彼の名前を久しぶりに目にしたは、9.11のテロ攻撃の後、アメリカ合衆国が発表した放送禁止リストの中に「ピース・トレイン」という彼のさほど有名でもない曲を見つけたときである。瞬間にイスラム教だからかなと思ったが、曲の歌詞が問題なのだという。あのテロ攻撃の直後はヒステリックにもなっていたのだろうが、ジョン・レノンの「イマジン」までもが、放送禁止扱いになったのだからアメリカという国も了見が狭い。世界平和を願う曲を放送自粛にした判断が、多くのミュージシャンに違和感を与えたのだろうか、このことは繰り返しラジオなどで取り上げられ、むしろ掟を破って「イマジン」をかけるDJが多くいたというから、面白いものだと思う。

それにしてもすべての曲の歌詞を洗い出して判断したわけでもなかろうが、こういった禁止リストを作ること自体は、かえってその曲を流せと言っているように思えてならないのは自分だけだろうか。新旧取り混ぜて、あえて影響力の強いものだけを選び出したのだろうか。「イマジン」はジョン・レノンの生き方そのものでもあるので、その影響力は相当強いと思うが、キャット・スティーヴンスのこの曲にそれほどの影響力があるとは、とうてい考えられない。やはりイスラム教徒だからという理由での嫌がらせのように思えてならない。まったくアメリカにもずいぶんケツの穴の小さい役人がいたものだ(失礼)。そんなことは無いと思うが、今回のアメリカがイラクに対して行った愚行を、宗教戦争にすり替えられることが許せない気がして、敢て書いておくことにした。下町のオヤジの不機嫌を許していただきたい。