岩手県一関市にジャズ喫茶「ベイシー」がある。オーナーの菅原正二さんは、無類のカウント・ベイシー好きで有名な方だが、もう「好き」という言葉では表せないほど、人生そのものがベイシー漬けの方である。それほど好きになる人間がいるほど、カウント・ベイシーの音楽は素晴らしいのかと思ってしまうが、残念ながら自分はビッグバンドが苦手なので、ろくに聴いているわけではない。それでも、菅原さんの音楽に対する愛情に溢れた文章が好きで、ジャズ喫茶「ベイシー」で繰り広げられるオーディオ機器との格闘を描いた「ジャズ喫茶「ベイシー」の選択」(講談社)は、これまでに読んだ音楽関連の書籍の中でも、かなり上位にランクインする愛すべき一冊である。何せサブタイトルが「ぼくとジムランの酒とバラの日々」である(説明無用かもしれないが、ジムランとは、スピーカーで有名なJBLのジム・ランシングのことである)。最近、Amazonで菅原さんの「サウンド・オブ・ジャズ!−JBLとぼくがみた音」(新風舎文庫)という本を見つけて購入したのだが、これが「ジャズ喫茶「ベイシー」の選択」の文庫版であり、再発加筆されたものだった。通常なら紛らわしいと怒りそうなものだが、愛おしく拝読している。それだけ、面白い内容なのである。
職場の先輩で、やはりジャズ漬け人間のT氏がいる。自分にジャズの面白さを教えてくれた人間でもあるが、彼もベイシーを崇拝している。彼から何枚かベイシーのアルバムを聴かされているので、全く知らないわけではないのだが、そのときは、どうも自分の範疇にない音楽だな、という認識を得た。そんな自分が、最近、ベイシーのCDを数枚購入し、頻繁に聴いているのである。お、ついにビッグバンドまでも聴くようになったか、と言われそうだが、そうではない。数多あるベイシーのアルバムの中には、数は本当に少ないが、彼のオーケストラの録音ではないものがあるのだ。そう、カウント・ベイシーが鍵盤奏者として参加しているアルバムである。ピアノだけでなく、渋いオルガンも弾くこの偉大なる人物は、スモール・コンボでは、実に愛らしい演奏を聴かせ、ビッグバンドのリーダーという印象とは大きく異なった一面を見せてくれる。朴訥とした語り口の名脇役の演技でも見るかのようなその演奏は、技術的に優れているかという評価軸には馴染まないものだ。
一方で、センスのよさという切り口からは、さすがと言うしかないと思っている。そこはビッグバンドのリーダーだけあって、実にバランスのよい、まとまり感のあるアルバムに仕上がっている。そもそも、こういったCDを入手したのには理由がある。大好きなテナー奏者、ズート・シムズが参加しているからだ。だいたいズート・シムズという男は結構ムラのある人間で、ワン・ホーンでバリバリ吹きまくるときには素晴らしい演奏が多いが、トランペットなどと共演するときは、遠慮するのか、あまり面白いものがない。中にはデュクレテ・トムソン盤という愛称で知られる「イン・パリス」などのように、複数の管が入っていても好きなものは好きだから、ついつい名前を見かけると、手を出すことになる。そうして何十枚も買っているのだから、やはり好きなのだろう。
ここらで、ジャズ好きは、そらきた1975年にノーマン・グランツが仕掛けてパブコに録音した「ベイシー・アンド・ズート」だな、ということになる。ところが、違うのだ。この盤も確かによい。ベイシーのピアノとオルガンに合わせて、ズートのワン・ホーンが冴える。なかなか好きなアルバムだ。しかし、今回聴きまくっているのは、別のアルバムである。タイトルは「ベイシー・ジャム」、1973年12月に録音されている。やはり、ノーマン・グランツがパブコに録音させたものである。そしてもう一枚、同じ様にして録音された1974年5月の「フォー・ザ・ファースト・タイム」だ。こちらは、カウント・ベイシー・トリオという名義になっており、73年の「ベイシー・ジャム」にも起用されたベースのレイ・ブラウンと、ドラムスのルイ・ベルソンが参加している。「ベイシー・アンド・ズート」にはレイ・ブラウンは参加できず、ジョン・ハードがベースを弾いている。ここでレイ・ブラウンがベースを弾いていれば、「ベイシー・アンド・ズート」は、もっと愛聴している盤になったかも知れないのだが、ちょっと残念である。
「ベイシー・ジャム」のクレジットには、他にテナーサックスのエディ・ロックジョー・デイヴィスやトランペットのハリー・スイーツ・エディソンなど、ハードバップより前の時代に活躍した連中の名前が目に付く。トロンボーンは名手J.J.ジョンソンだ。几帳面な性格なのか、文句なし正確な音を並べていく。ギタリストとして、アーヴィング・アシュビーなる人物が参加している。ナット・キング・コールのバックで演奏していた人物だが、他に名前を見たことがない。従って多くは語れないが、なかなか渋いソロと堅実なカッティングを聞かせている。そして、前述のように、ズート・シムズ、レイ・ブラウン、ルイ・ベルソンが参加しており、古臭い音楽が好きな自分としては、やはり楽しめるアルバムとなっているのである。想定外だったのが、ハリー・スイーツ・エディソンの枯れたトランペットがいい味を出していることだ。この盤はそれだけでも買いである。今後開拓する楽しみができたことがまた嬉しい。
さて、新旧や洋の東西を問わず、オールスター・ジャム的アルバムは多く存在するが、ビッグネームの共演は、それぞれが好き勝手できる個々の盤と違って、遠慮もあるのか、いい演奏が少ないような気もする。しかし、その中でも、鍵盤奏者というものは、楽器が持つ性格なのか、他人を引き立てることが得意な人間が多いように思えてならない。ハービー・ハンコックやチック・コリアはその代表的な存在かも知れないが、こうして聴く限り、カウント・ベイシーやデューク・エリントンのようなビッグバンドのリーダーも、同じことが言えそうだ。自分が目立つことよりも、全体のアンサンブルに対する目配りが行き届いてしまうのか、バリバリにソロをとって名演を残しているわけではないのに、妙に心に残るアルバムが存在するのだ。「ベイシー・ジャム」は、どうやらその典型のようなアルバムらしい。
ようやく春らしい日が差すようになってきた昨今、花粉の季節でもあるが、やはり気分が上向く季節ではある。そろそろ年度の節目を意識し始めたこの季節に、毎度思うことがある。今年こそは一関の「ベイシー」に行く時間が作れないか、ということだ。自分のような寒さに弱い人間が、雪の季節に岩手県に出かけることは有り得ないが、夏だったら何とかならないだろうか、と画策するのである。毎度くじけているのだが、そろそろ行っておかないと、一生後悔するような気もするので、今年こそ「ベイシー」で「ベイシー・ジャム」を、とたくらんでいる下町のオヤジであった。