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下町音楽夜話

◆第322曲◆ デオダート(2)−ライヴ・イン・東京・2008


2008.8.23

真夏の東京に、天才デオダートがやってきた。コットン・クラブにエウミール・デオダート・トリオとして4日間も出演したのである。お盆の時期とはいえ、自分の場合、休みではないので最終日にあたる8月16日の土曜日にお席を予約したというわけだ。蒸し暑い真夏の東京を、このブラジル人たちはどう過ごしたのだろうか?先週の音楽夜話で、生きていたのかという感じで驚きを表現してしまったが、この御仁、2006年にも来日公演をやっていた。自分のように音楽ドップリの人間でも情報を見逃してしまったのだから、そのときの来日公演に関しては、プロモーションが行き届かなかったというべきだろう。しかも文京シビックホールなどで満席にもならなかったというのだから、宣伝が足りなかったとしか思えない。そんな過去がありながら、よくまたクラブ公演を受けてくれたものだ。

とにかく小雨が降ったり止んだりの土曜日の夕方、富岡八幡宮のおまつりだよな、と思いつつも、ウキウキ、イソイソ、出かけてきたのである。予想に反して、意外なほど空いていた丸ビルでお茶をして時間調整をし、少し早めかという時間に入店した。それでも、開場と同時に入ったのか、自由席の多くは埋まっていて驚いた。自分はもともとステージ前のテーブル席に着くつもりはなく、少し離れたところにあるカウンター席で観たかったので、それでも十分だった。ちょうどデオダートがキーボードを弾く姿を、斜め後ろから覗くような絶好のお席が確保できたのである。この位置、さらに言えば、デオダート越しにドラマーが見えるような位置で、演奏中のアイ・コンタクトの様子が非常によくわかり、個人的には最高の場所であった。

普段は9人編成でやっているということだったが、今回はトリオでの来日である。連れてきたのは、ピエールルイージ・ミンゴッティというスキンヘッドのベーシストと、ステファノ・パオリーニという少々腹の出たドラマーなのだが、まったく聞いたこともない名前だった。MCで分かったのだが、2人とも、イタリア・ツアーで意気投合した現地のミュージシャンということで、イタリア人なのである。ちょっと太ってしまったデオダートも含めて、普段着のような格好でステージ上に現れた3人は妙にリラックスしていた。あまり期待しすぎてはいけないと自分に言い聞かせていたものだから、この時点では、少しでも知っている曲をやってくれたらなあ、という程度の心もちだったのである。

しかし、演奏が始まった瞬間、様相は一変した。あまり手数は多くないドラムスはズッシリと重く、非常にタイトなリズムである。ベースはというと、結構難しそうなフレーズを表情も変えずにブリブリと弾いている。黒いジャズベースは、ほとんと素のままに近く、エフェクターをほとんど効かせていない音である。デオダートはというと、背中を丸めてパラパラとキーボードを弾いているが、リラックスしている様子で、楽しげにやっている。難しいことはしないといった演奏だが、リズムが異様に正確である。そしてキーボードは、どうやらMIDIらしく、多彩な音を繰り出してくる。エレピの音が中心だが、オーケストラを模した音やワーリッツァーぽい音など、上手く使い分けている。1曲目が終わった頃には、ひょっとして期待してもいいのかな、という印象になっていた。

2曲目の出だしで、思わず飛び上がりそうになった。いきなり「ラプソディー・イン・ブルー」である。かなりレコードに近い音で演奏している。相変わらず重心の低いドラムスが心地よい。店員が本日満席といっていた観客は、一気に盛り上がりを見せ始めた。途中キーボードとピアノのどっちを弾こうか迷っているふりをしてみたり、パントマイム的におどけた表情を見せながら、楽しげな雰囲気で進行していくステージは、その一方でかなりのテクニック志向が強い演奏を聴かせており、押さえるところは押さえているといった印象だ。それにしても上手い連中だ。これなら、高い料金も納得できる。何せ食事つきとはいえ、2人で3万円超となるのだから、期待外れの場合は痛手が大きい。

途中「スーパ・ストラット」など、人気曲も演奏してくれながら、それなりにソロも聴かせるステージは、非常によく練られているように思えた。人気曲で観客を楽しませる一方で、隠しようもないブラジル人のアイデンティティというべきか、ボッサ・リズムなど、多彩なリズム・パターンが実に自然に顔を出す演奏は、相当のクオリティであることを見せ付けている。やはり天才といわれた男だけのことはある。終盤には「ツァラトゥストラはかく語りき」も演奏してくれた。しかし、さすがにこれはオーケストラがないと厳しい曲である。中指の真ん中で手を割いて、4本の手で弾きたいとコメントしていたが、それでも十分に楽しませてくれる演奏内容ではあった。

一旦終演して引き上げるときに、アンコールがかかっていたが、セカンド・ステージもあることだし、やらないだろうと諦め半分眺めていた。ところが、店の人間と時計を指差しながらやってもいいのかというような身振りをして、嬉しそうに何やら言いながら戻ってきた。キーボード上の楽譜から一枚を探し出し、ちょっとだけというアクションとともに、再び演奏が始まった。スティーリー・ダンの「ドゥ・イット・アゲイン」だ。これは嬉しかった。この曲、デオダート・ヴァージョンがクラブなどでは人気なんだそうな。若い観客の中には、これを聴きにきていたという人間もいたのではなかろうか。アンコール1曲を最後にきっちり90分、完全に元をとったような内容に大満足で店を出た。

まだ止んでいない雨の中、つれあいと「こんな天気だったけどおまつりは盛り上がったのかね」などと言いつつ、改築中の中央郵便局や東京駅の駅舎のそばを歩いていた瞬間に、あれこれ考えてしまった。まるで一時代の終焉といった景色が、妙に寂しさを煽るのだ。デオダートは、ファン・サービスと自己のアイデンティティを高い次元で両立させていた。やはりアイデンティティというものは大切だ。何も若い連中に媚を売る必要もない。自分がやりたいことを、やりたいときにやればいいのではなかろうか。案外、デオダートも天才、天才と言われていた頃より、今の方が楽しんでいるのではないだろうか。さて、それでは、今の自分のアイデンティティは、一体何なのだろうか。昭和をひきずった音楽好きのオヤジというだけのことか。自分自身の理想像は、他人からどう見られたいかということと同義なのだろうか?目の前の結果ばかり気にしている自分の日常に思い至り、いきなり反省モードになってしまった。懐かしい景色などを目にした瞬間に、そんなことを考えたことはありませんか?・・・私はしょっちゅうです。


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