先日、HMVのサイトで、クラシックのCDが随分安く売られており、ちょっと前から聴きたかったバッハのオルガンものはないかなと探してみた。冷やかし半分とはいえ、眠たい目をこすりながら探していたら、・・・あった、あった。カール・リヒター、ウォルフガング・シュトックマイアー、ヘルムート・ヴァルヒャ、ベルナール・フォクルール、いろいろ売っている。やはり、バッハはオルガンがいいのかな、などと思っていくつか購入してみた。クラシックの世界も、著作権の保護期間切れの音源が異様に安く売られ始めているのは、ジャズと同じだ。1950年代の録音が中心のセットが目を疑うほど安い。中には意外に新しい音源の含まれているセットまで混在している。50年代の音源は当然ながらモノラルである。一般的なクラシック愛好家は、「60年代以降でないと」というようなことを言う。至極当たり前の話だとも思うし、交響曲などのように音の広がりを楽しみたければステレオ録音の方が有利に決まっている。
しかし、自分のように古臭い音楽ばかり聴いているような人間にとっては、モノラルなんて別に気にもならないし、オーディオ趣味的には点音源にも魅力を感じる人間なので、これは実に喜ばしい状況なのである。先般、ビートルズのアルバムがリマスタリングされたときも、限定盤でモノラル・ボックスが売り出された。かなりそそられたのだが、モノラル・ボックスの方が高価だったので、一般的なステレオもののボックスを購入してしまった。しかしそういった製品が売られるほど、モノラル・ファンもいるわけなのである。数は少ないかもしれないが、確実にいる。
古いタンノイのスピーカーで聴くモノラル時代のアナログ音源の魅力など、この期に及んで力説しても虚しいのかもしれないが、ある意味で究極の趣味的世界であり、中途半端なオーディオ趣味の世界と比較すると、圧倒的な純度の高さとも言える。オーケストラが点音源から迫ってくるのは恐ろしいかもしれないが、少ない楽器編成、たとえばオルガン・ソロなどであれば、モノラルとステレオ、どちらがいいかなどということは、簡単に口にすることはできない。好みの問題でもある。左右のチャンネルに擬似的に楽器を振り分けた擬似ステレオと比較すれば、こと迫力という点だけで比べても、モノラルの音の塊感は圧倒的に魅力的だと思っている。また、ノイズだらけだと集中力がそがれることもあるが、そういったこともなく、古き良き時代の空気感が感じられるような録音は、むしろ歓迎なのである。できることなら、演奏された時代に最もポピュラーなメディアで再生すること、さらにはその時代の機器を使って再生できたら、最も望ましい時代の空気感が再現できるのではなかろうか。
しかし、教会音楽として捉えたバッハのオルガン・ワークスを聴くに際しては、やはり聖堂の残響を楽しむという側面もあり、ステレオ優位かという思いが強い。オルガンに関しては、演奏者の個性もさることながら、楽器の個性も強烈に音に反映する。どこの聖堂のオルガンかといったことはかなり大事な要素となるが、ヨーロッパには歴史的にみても、音響工学的にみても、素晴らしいオルガンが多く存在する。多くの都市でさまざまな音楽祭が開催され、多くの名演が録音されることは、昔も今も、そしてこれからも変わらないのだろう。ロックやジャズなどのポピュラー・ミュージックと違って、そこは歴史の長いクラシックのほうが不変性に関しては有利である。
盲目の天才オルガン奏者、ヘルムート・ヴァルヒャは、生涯に2度バッハの全曲演奏を残している貴重な存在である。襟を正して聴くものといった解釈が一般的な、いわばクソ真面目なヴァルヒャの演奏は、ハデなところがなく、あくまでも地道に、静かに、丁寧にスコアを追っているように感じる。実際は、点字ですべてを頭に入れたというのだから、恐ろしい頭脳の持ち主だ。この人物の演奏で、バッハのオルガン作品全曲がモノラルとステレオでの聴き比べができるのである。今回彼の1954年のモノラル録音のオルガン全集を聴いていて、メロディが美しく破綻なくまとまっていること、残響の美しさなどに感銘を受けた。実に美しい中高音の音色が別格といった印象だ。モノラルでもここまで広がりを感じられるのであれば文句はない。敗戦後のドイツ国民の寂寥とした感情が、冷え切った空気感とともに篭められているようだ。彼は、近代的なシンフォニック・オルガンを使わず、教会オルガンの生産地アルクマールの聖ローレンス教会のオルガやと、ストラスブールのサン・ピエール・ル・ジューヌ教会のオルガンを使い、全集の録音に取り組んだのである。こういったバロック・オルガンに拘りを見せたところも、個人的には評価したい。
バッハの場合、管弦楽・協奏曲、室内楽、声楽曲、器楽曲のほかにも特殊楽曲などといった分野まで作品が残されていて、やはり音楽の父といわれる幅広さである。なかでも自分が聴くのは器楽曲なわけで、オルガン曲のほかにその他の鍵盤楽器用のクラヴィーア曲やヴァイオリンやチェロといった弦楽器の無伴奏作品集まである。さらには、意外にもトランペットのための作品集もあるのだ。現に手元にそのCDがあるため、そう書いているのだが、あまりにトランペット・ワークスに触れた文献が少なくて、不安になってしまうほどである。自分の場合、いろいろな文献にあたり、気になったものを購入して、その記述を元に聴いてみてどう感ずるかといった楽しみ方も多いので、本質を理解しているかどうかは怪しいものだが、ポピュラー・ミュージックの延長線上として聴く分には、バッハは意外に楽しめるのである。また、「フーガ・イン・Gマイナー(BWV578)」が大好きで、この一曲のためにいろいろな奏者によるバッハ・オルガン曲集といったものを買っていた。そういった拘れる曲があるのは幸せなことだ。
しかし、トランペットはダメだった。ファンファーレ的なトランペット・ワークスはどうにもそそられる部分がなかった。別にファンファーレが嫌いなわけではない。ELPの「ファンファーレ・フォー・ザ・コモン・マン」は大好きだ(一応冗談のつもりである)。そもそもが、こういったクラシック好きがやっているロックバンドが小出しにするクラシックのフレーズを聴いて育っているがために、かなりゆがんだクラシック観を持つに至ったまでだ。もう少し真面目にクラシックも聴いてみたいとは常々思っている。やはり、ロックやジャズを聴くことに忙しくて、なかなかクラシックまで時間が割けないといった実情である。そんなわけで、たまに聴くクラシックは、中途半端なものではなく、ヴァルヒャのような正統派を、背筋を伸ばして聴くほうが好ましい。ヴァルヒャの「フーガ・イン・Gマイナー」、あまりの素晴らしさに心洗われる思いがして、ポピュラー・ミュージックがしばらくの間、聴けなくなる。たまに聴くクラシックは、こうでなくっちゃ。