いまさらではあるが、ウォーレン・ジヴォンの「あうー」にハマっている。「ロンドンの狼男」が唯一のヒット曲で、それがチャートでも21位どまり、なんとも過小評価されていたことが今更に残念だ。確かにおふざけの歌詞は名曲といった類のものではない。しかし、ここで聴かれる軽快なピアノのノリ、これはもうただものではない。しかも、この曲のリズム隊は、当時大ヒット連発中のフリートウッド・マックのミック・フリートウッドとジョン・マクヴィーである。オバカな歌詞でちょっと笑わせて、その実かなり渋い演奏で唸らせるといった辺りを狙ったのか。そもそも存在そのものがバカげていることで、数段上を行っていたパンクの嵐が吹き荒れ、さらに新しいムーヴメントとしてのニューウェイヴが台頭してきた時期である。やはりタイミングが悪かったと言うしかないのだろう。
先日、シェリル・クロウと一緒に来日したジャクソン・ブラウンのライヴを観ていても、ウォーレン・ジヴォンのことが頭から離れなかった。というのも、ジャクソン・ブラウンの口利きでウォーレン・ジヴォンはメジャー・レーベルからの再デビューを果たした上に、珍しくジャクソン・ブラウンがプロデュースまでした数少ないミュージシャンの一人なのだ。「さすらいの」というキーワードで語られることが多いシンガー・ソングライターだが、あくまでも拠点としていたのはL.A.であり、西海岸のミュージシャンと捉えるべきなのだろう。実際に世界中を旅してまわっていたこともあるようだが、それが彼の音楽に大きな影響を与えたとはあまり考えられないところが、また面白い。
何はともあれ、西海岸のほかの連中と比べると、あまりにかけ離れた音楽性を持っていることは事実だし、ちょいと風変わりな内容の歌詞も、いろいろ考えさせられて面白い。どちらかというと、都会的な印象を受けるものであり、地域性はあまり感じないので、ニュー・ヨーカーかと思ってしまうほどだ。言ってみれば、土地柄にあまり影響を受けていないというべきなのだろう。それでも、多くのミュージシャンから愛され、カヴァーされたことから考えると、ミュージシャンズ・ミュージシャンという性格も見えてくる。他の西海岸の連中と比べて、かなりダークな色彩を持った彼の詩の世界は独特のものである。それをどう評価するかは聴く側次第なのだが、本人は確信犯的にスタイルを変えることもせず、活動を続けたのだから、これでよしと思っていたのだろう。
とにかくロシア系のボクサーだった父親と、敬虔なモルモン教徒だった母親の間に生まれたあたりからして、普通ではない子ども時代を想像してしまうのは無礼だろうか。しかし16歳のときに、両親が離婚したことをきっかけにハイ・スクールを中退し、ニュー・ヨークに移り住んで音楽活動を開始しているあたり、なんとも筋金入りである。1947年生まれということは、熱い60年代をしっかり体験した世代でもある。1967年には幻のファースト・アルバムをリリースするものの、全く売れなかったという。若い頃は、レーベル仲間のザ・タートルズ(「ハッピー・トゥゲザー」のヒットで有名な、大好きなグループである)や、映画「ミッドナイト・カウボーイ」のサントラに楽曲を提供したりして、裏方に徹していることも納得がいかないわけではない。エヴァリー・ブラザーズのキーボーダーなどを務めた後には、スペインに移り住んで、バルセロナ郊外のタバーンで歌っていた時期もあるという。
1975年にL.A.に戻ってきた彼は、フリートウッド・マックに参加する前のリンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスと活動を共にしていたこともある。そんな関係からか、やはりヒットしたとは言い難い再デビュー・アルバム「ウォーレン・ジヴォン」は、フリートウッド・マックの面々やイーグルスのメンバー、リンダ・ロンシュタッドやボニー・レイットといった有名どころがこぞってバックアップしている。リンダ・ロンシュタッドは彼の曲を何曲もカヴァーしており、ある意味では最大の貢献者だったのかもしれない。しばらくして、当然ながらヒットはやってくる。1978年のアルバム、「エキサイタブル・ボーイ」と「ロンドンの狼男」だ。しかし、このおふざけチューンは、決して彼の本質ではないところが面白い。ハロウィーンのたびに、多くのミュージシャンがカヴァーして歌ったというこの曲は、ワディ・ワクテルのギターとウォーレン・ジヴォンの乾いたピアノの絡みが妙に格好良い大好きな曲なのだ。
その後も、活動は続けていくが、大してヒットは出ない。離婚などをきっかけにアルコールとドラッグにはまり、1980年代中盤から後半の時期は、ボロボロになって音楽業界から遠ざかってしまうが、その後は、メジャーになる前のR.E.M.の連中とコラボレーションしたり、デヴィッド・レターメンのテレビ番組用のバンド・リーダーをやったりして、断続的ではあるが活動は続けている。そして、次に彼が注目されたのは、2003年に発売された彼の遺作となる「ザ・ウィンド」だったと言っても過言ではあるまい。彼は前年の秋に、デヴィッド・レターメンの番組の中で、癌で余命いくばくもないということを発表した。その後、この遺作の作成に取りかかり、2003年8月にリリースまでこぎつける。発売の12日後、彼は56年の短い生涯を閉じた。グラミー賞5部門にノミネートされたこの盤は、「エキサイタブル・ボーイ」以来の素晴らしい内容だったと認める人間は多い。
結局この男のことを考えると、音楽を生業とする人間にとって、ヒットとは何なのかとあらためて考えさせられてしまうのだ。明らかに彼の詩の世界とは異質な狼男の「あうー」が、彼のトレードマークだったと言うべきなのだろうか。ミュージシャンが一旦産み落としてしまった楽曲は、永遠の命を授かり、生みの親の死後も生き続けることになる。その曲を聴いて、背景を知らないリスナーがどう思うかといったこととは一切関わりなしに、つまりそれが、作者の意図と明らかにずれていたとしても、レコードやCDは同じ音で鳴り続けるのである。
ウォーレン・ジヴォンは多くの曲を残し、さっさといなくなってしまった。結局はそれが「さすらいのシンガー・ソングライター」というイメージを一層強くしているのだろう。しかし、政治的もしくは社会的な観念に裏づけされている歌詞をしっかりと聴き取らないと、彼の本質は理解できるものではない。加えて、最大のヒットが「ロンドンの狼男」の「あうー」とくれば、煙に巻くのもいい加減にしてくれと言いたくなってしまう。「所詮音楽というものはそんなものさ」という意味で煙に巻くことが彼の狙いだったとしたら、これは大成功もいいところなのだが、そんな人生ありなのだろうか?自分のように静かな日々を平穏無事に暮らしている凡人には、まったく理解できるものではない。