とうとう50歳になってしまった。大台に乗るとよく言うが、乗ってしまった気分は・・・やはりショックだ。昔は人生50年だったのだろうから、もうそろそろ寿命といった年齢なのだ。現代人は随分長生きになったが、自分がそんなに老いてしまったということに実感がわかない。昔は、自分が長く生きると思っていなかったので、50歳になったときに何を聴いているか想像したこともなかった。いや想像できなかった。無理を承知で、昔に戻って想像してみたとすると、やはりクラシックや大人しめのジャズでも聴いているのかなと思ったのではなかろうか。しかし、現実は随分違っていた。何せ2010年になって、1970年代にシンガー・ソングライターの大ブームを巻き起こしたキャロル・キングとジェイムス・テイラーが同じステージに立つために、揃って来日するのだ。つい先日はジャクソン・ブラウンも元気な姿を見せてくれた。こちらはシェリル・クロウと連れ立っての来日である。この状況は、昔だったら絶対に想像できなかった。当然35年前と同じものを聴いているということも、想像できなかった。
ここ数年、日本では、面白い顔合わせのコンサートが実現している。2008年のシカゴとヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの顔合わせなどは、陽気なアメリカン・ロックの祭典的な楽しいノリだった。また同年はホワイトスネイクとデフ・レパードなどといった80年代が好きな人間には堪らない顔合わせもあった。2009年に入ってからは、エリック・クラプトンとジェフ・ベックという、夢のようなコンサートも実現した。さも世紀の対決のような緊張感のなか、現役感バリバリの素晴らしいバトルが繰り広げられた。観ることは適わなかったがデレク・トラックス・バンドとザ・ドゥービー・ブラザーズ・バンドという世代の異なる顔合わせも、骨太なアメリカン・ロックが好きな人間にとっては堪らないものだったろうし、ライ・クーダーとニック・ロウが同じステージに立つことも、背景を知る人間には興味深いものだった。そして年が明けての、シンガー・ソングライター組の来日である。口さがない連中に言わせれば、不景気になってからは、小銭を持った日本で集金ツアーをやっているだけだそうだが、言いたいヤツには言わせておけ。英米でもなかなか実現しない、面白い顔合わせのステージを堪能できることの有り難さよ。
死んでしまった人間のことを考えても詮無いことだが、この調子なら、ジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョプリンの顔合わせが日本で実現、などといったこともあり得たのかもしれないなどと考えたりして、改めて若死にしたミュージシャンのことを無念さとともに思い出してみたりしている。音楽というものは面白いもので、生身の人間が生み出すものだが、いったんマスターテープなどに記録されてしまうと、永遠の命を与えられたかのように、生み出した人間とは別の道を歩み始める。先日も、ジミ・ヘンドリックスのニュー・アルバムが発売になった。未発表曲や未発表テイクを集めた「ヴァレーズ・オブ・ネプチューン」だ。40年も前に死んでしまったミュージシャンの新盤が出ることの違和感はあらためて説明するまでもなかろうが、技術の進歩は有り難いもので、現代の普通の新譜とさほど変わらないクオリティで聴くことができることも不思議といえば不思議である。ジミ・ヘンドリックスの音楽は、いまだに生きている。
さて、先日の来日コンサートに話を戻そう。どういった意味合いがそこにあるのかは知れないが、第1部がジャクソン・ブラウンで小一時間程度、休憩を挟んで第2部のシェリル・クロウはもう少し長いステージだった。ジャクソン・ブラウンはアンコールなし、シェリル・クロウは終演後、ジャクソン・ブラウンとともに2曲だけ聴かせてくれたといった構成だった。一回り以上年齢が離れた顔合わせだが、いったい何を聴かせてくれるのか、非常に楽しみにしていたのだが、意外にあっさりしたものだった。結局のところ、その2曲とは、ジャクソン・ブラウンの「ドクター・マイ・アイズ」と、派手派手なニック・ロウの「ピース・ラヴ・アンド・アンダースタンディング」で盛り上がって一瞬で終わりだったのである。「ピース・ラヴ〜」はエルヴィス・コステロのカヴァーで有名なため、シェリル・クロウも「コステロのナンバー、聴きたい?」などと紹介しながら始めていたが、オリジナルはニック・ロウが在籍していたブリンズレー・シュワルツである。二人とも、生真面目なミュージシャンだけに、無理に盛り上げるようなこともせずに終わってしまったが、これはこれでいいのかもしれない、などと考えていた次第である。
政権交代や社会構造の変革といった具体的な話ではなくとも、時代はどんどん移り変わっていく。しかし、一個人にとっては、大して変化もない日常生活が綿々と続いていくのではなかろうか。ある日気が付いて、「そういえば随分変ったな」と思うといった程度に、代わり映えがしない毎日が繰り返されているのが普通だろう。その中で、アナログだったら針をおとせば、またデジタルであればスイッチを押せば、昨日までと何等変わらない音楽が流れてくることの有り難さといったらない。自分は常々「変わらなければ」と言っている人間でもある。それは変わらないことの安楽さに胡坐をかいていては進歩がないぞといった程度のことであって、変わらないことが安楽であることは、普通以上に認識している人間でもあるのだ。だからこそ、変化に乏しい日常に、ちょっとした変化をもたらす非日常としてのコンサートなどといったものの有り難さが、また身にしみるのである。
政権交替がいい例かもしれないが、結局のところ、世の中がそうそう急に変わるものではない。ただ自分の気の持ちようが変わるだけなのだ。それでも、これだけ長い間音楽に親しんできてしまったからには、みんな同様に年齢を重ねるわけで、ミュージシャンの訃報にも多く接してきた。二度とライヴを観ることが出来なくなってしまったミュージシャンは確かに多いが、それでもレコードをかければいつでも彼らの声が聴けることの有り難さは常々感じて然るべきなのだろう。定年があるわけではないミュージシャンは、生涯現役がやはり望ましい。こちらも生涯現役リスナーでいなければ、申し訳ないではないか。60歳になっても、70歳になっても、ロックを聴き続けていることが、生きていく上で多くの励ましを与えてくれた音楽に対して感謝を表すことになるのではなかろうか。
さて、来月には、キャロル・キングとジェイムス・テイラーが揃って来日する。それぞれのステージはやらずに、最初から一緒のステージに立つという。二人が歌う「君の友だち(You’ve
got a friend)」や「イッツ・トゥ・レイト」が、50歳になった自分にどう響くかは、その場になってみないと分からないが、なんだか涙が出てしまいそうでいけない。こういった、不変の、そして普遍性を持った曲が日常生活に及ぼす影響は、計り知れないものがあるのである。