年度当初の最も忙しい時期に来日するミュージシャンは何故だか多い。桜の季節に合わせて来日できれば、それは感動ものの体験もできるだろうが、そうそう上手く満開の桜が見られるものではあるまい。毎年開花時期が微妙にずれるし、桜の盛りは本当に短い間だ。ようやく花粉症の季節も終盤を迎え、自分としては本当に嬉しい季節だけに、この季節のコンサートは有り難いのだが、その一方で仕事のことや歓送迎会などといった用向きで確実に足を運べるという自信もないので、困る側面もあるにはある。今回も、早くに押さえておいたキャロル・キングとジェイムス・テイラーのコンサートのチケットは、知人に譲ることになってしまった。どうしても仕事の都合がつかない日になってしまったのだ。日本武道館のアリーナのかなり前の方の席だったので、非常に残念だった。
一度は断念したものの、やはり諦めきれず、他の日のチケットは残ってないかと探してみたら、嬉しいことに土曜日にパシフィコ横浜国立大ホールで開催される追加公演のチケットが入手できたのである。そんなに悪い席ではない。これはかなり売れ残っているのかと思いきや、当日は満席状態だったので、どうやらキャンセルものをたまたま入手できたということらしい。相変わらず自分はついている人間なのだ。そんなわけで、記録的な遅い雪が降った翌日、4月にしては恐ろしく気温が低いなか、横浜まででかけてきたのである。朝まで雨が残っていたのだが、午後からは快晴となり、絶好のドライヴ日和となった。変貌著しい臨海副都心を横目に、湾岸高速をいつもよりは少しスピードを落とし、のんびりと行ってみた。そのせいもあってか、コンサートが始まる頃には、気分的にかなりリラックスできていた。こういった時期は、なかなか仕事モードから切り替わらずに苦労することが多いのである。
さて、パシフィコ横浜の国立大ホールは、優れた音響を持つホールであった。トイレが小さいのには驚かされたがシートも悪くないし、中規模ホールとしてはかなり理想に近いものだろう。開演のブザーが何とも昭和を感じさせる音で興ざめではあったが、そんなことは誰も気にとめないのだろう。国立はこの程度が限界だ。座席はミキシング卓の直ぐ近くだった。おかげでエンジニアの動きがよく見えたのだが、最近は何台ものノート型PCが並んでおり、昔とは随分違った光景になってしまった。今回は十分に予習できたわけではないので、つれあいには申し訳なかったが、こちらとしてはいまさら予習もあったものではない。おそらく手持ちのレコードの中で、最も再生回数が多い「つづれおり」からの選曲が中心だというのだから、予習無用である。当然ながら、全曲熟知したものばかりだった。
今回のこの2人とバックアップ・メンバーの顔合わせは、まさにレジェンダリーといった形容が相応しいものである。何せ「つづれおり」にも参加しているギターのダニー・クーチ・コーチマーとドラムスのラス・カンケルが一緒のステージに立つのである。ジェイムス・テイラーは、1967年、ダニー・クーチらとともに、フライング・マシーンというバンドを結成し、将来を約束された存在となっていたが、麻薬禍でバンドを解散せざるを得ない状態にまで堕ちてしまったのである。失意の中、渡英したジェイムス・テイラーはビートルズが設立したばかりのアップルからデビューするというチャンスに恵まれるが、ヒットするまでには至らなかった。再度アメリカに戻った後の活躍は、ここで語るまでもない。
キャロル・キングは、1960年代を通して、職業作曲家として100曲以上をヒットさせた実力者だったが、自分自身がステージにたったのは随分遅かった。1968年にダニー・クーチとチャールズ・ラーキーとともにザ・シティを結成してアルバムは作ったものの、キャロル・キングがステージ恐怖症に陥ってしまったという。ライヴ活動がままならないため、バンドとしてのザ・シティは一旦解散せざるを得なかったのである。その彼女にステージ恐怖症を克服するチャンスを与えたのが、他でもないジェイムス・テイラーだったのだ。既にヒットを飛ばし始めていたジェイムス・テイラーは彼女をツアーのピアニストとして招き入れ、多くのステージを経験させたのである。キャロル・キングは、お礼に「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」というナンバー・ワン・ヒットとなる曲を提供する。自身も「つづれおり」の中で歌ったこの曲は、まさに1970年代のシンガー・ソングライター・ブームを象徴する一曲となる。
結果的に見ると、キャロル・キングとジェイムス・テイラーは時代を象徴するかのような活躍をしたことになるが、決して華やかな印象はない。そこにはヴェトナム戦争の暗い影と反戦運動、内省的な時代の空気が見事に重なっていたというだけなのだ。ズバリ、時代が求めていた音だったのだ。そのジェイムス・テイラーとキャロル・キングが一緒にステージに立つからには、ダニー・クーチも一緒でなければ意味がないと思うほど、深い縁で結ばれている連中なのである。このコンサートが素晴らしいものになることは、はじめから予測できていたとはいえ、実際にコンサートが始まってみると、何度も何度も、こみ上げてくるものがあり、開演からしばらくと後半のかなりの間、涙が出そうになっていけなかった。年齢のせいか、涙もろくなってしまったようだが、何度もスタンディング・オベーションといった場面が見られたのだから、多くの人にとっても、似たような状況だったのではなかろうか。
とにかく、選曲に関しては、好きな曲が多すぎて絶対に満足できないだろうということも覚悟していたのだが、コンサートのかなり早い段階で、ダニー・クーチの曲だと紹介して始まった「マシンガン・ケリー」を聴いた瞬間に、もう大満足必至と考えを改め、続いて「カロリーナ・イン・マイ・マインド」を耳にしたところで、もう涙が溢れてきていたのである。十分にファン・サービスに徹している選曲だったことは間違いない。ヒットしたとかしないではなく、ファンの間で人気のある曲が選ばれていたように思う。個人的には大好きな曲ではあるがやらないだろうと思い込んでいたジェイムス・テイラーによるマーヴィン・ゲイのカヴァー・ヒット「ハウ・スイート・イット・イズ」を歌ってくれたことが最高だった。
しかし、最後がいけなかった。アンコールで観客の要望に応えて「クローズ・ユア・アイズ」を歌ったところで終わってくれればよかったのだが、無用と思われる元気な「ロコモーション」の大合唱で幕は閉じた。確かに超有名曲ではあるが、コンサートの雰囲気からは大きく外れている。大人の世界の曲の中で、いきなり子ども向けの曲を歌われたような気がしてしまったのだ。やはり最後は盛り上げて終わりたいのだろうか。大満足ではあったが、微妙な余韻が残ってしまい、静かに終わるコンサートがあってもいいのにという思いとともに、のんびり会場を後にした。