先日、キャロル・キングとジェイムス・テイラーのコンサートを観て、感動のあまり、しばらくやっていなかったデータベースをあれこれいじくりまわして楽しんだ。要はダニー・コーチマーの参加したアルバムをいろいろ聴き返したりしたのである。結果的に1970年代西海岸産のアルバムばかりなのだが、とりわけリンダ・ロンシュタッドのアルバムの多くでギターを弾いているのだ。アルバムごとにメンバーやスタイルが大きく変わるリンダ・ロンシュタッドは、あくまでも歌姫であり、シンガー・ソングライターではない。自作曲はほとんど無いに等しく、カヴァー曲もしくは他人から提供された曲となる。彼女の場合、非常に選曲眼が鋭く、意外なようでいてアルバムの統一性を損なわない曲が選ばれている。決して無難な選曲でないところが毎度面白い。オリジナルにあたってみたくなる、クレジット・マニアから喜ばれそうなところがまたよい。そんなところも含めて、自分はリンダ・ロンシュタッドが大好きなのである。
彼女の1978年の大ヒット・アルバム「リヴィング・イン・ザ・USA」で、エルヴィス・コステロの「アリソン」をカヴァーしているのが、実のところ妙に気になってしまった。このアルバムは1曲目にチャック・ベリーの「バック・イン・ザ・USA」が収録されているが、自分はこの曲があまり好きではなく、アルバムそのものを低めに評価してしまっていたようだ。ミドルテンポのリズムと乾いた音のピアノが大好きな「ジャスト・ワン・ルック」が収録されているにも関わらず、彼女のアルバムで針を落とす回数が最も少なかったものになってしまっていた。
彼女は1980年の「激愛」でもコステロ・カヴァーを3曲も取り上げているところをみると、相当に入れ込んでいたようだ。エルヴィス・コステロは1977年のデビュー盤「マイ・エイム・イズ・トゥルー」でそれなりに注目されたが、このアルバムは日本発売されなかったし、当時の自分には全然興味が沸く対象ではなかった。時代が時代だけに、パンクやニュー・ウェイヴの語法で語られるミュージシャンが、大挙してミュージック・シーンの表舞台に躍り出てきたものだから、その中に紛れてしまっていたといっても過言ではない。ロカビリーを想起させるルックスといい、そこはかとなく漂う懐かしさやレトロ感覚といい、明らかにニュー・ウェイヴではないのだが、演奏の荒々しさやざらっとした手触りはニュー・ウェイヴ的だったのだ。1978年の時点で、後々彼を代表するバラードと言われるようになる「アリソン」をカヴァーしているリンダ・ロンシュタッドの選曲眼はやはりただ者ではない。このリンダ・ロンシュタッドのカヴァーで、初めてエルヴィス・コステロの存在を知った人は案外多かったのではなかろうか?
リンダ・ロンシュタッドの場合、当然ながら若々しい女性の声で歌っているので、コステロ・ヴァージョンとは随分違って聴こえる。あっさり歌っているとも言え、曲のよさが際立つのはこちらの方が上だろう。またオリジナルでは、出だしの寂しさとせつなさを凝縮したようなギターが味わい深いのだが、リンダ・ロンシュタッドのバックではギターはさほど目立たない。むしろデヴィッド・サンボーンのアルト・サックススのほうが印象的だ。久々に昔の彼女と出会ってしまったというシチュエーションの歌詞をよく理解して吹いていたのだろう。せつなさを表現させたら抜群の腕前を見せるデヴィッド・サンボーンの演奏の中でも、コンパクトにまとまっており、味わい深いものとなっている。
さて次に、「アリソン」のカヴァーにいろいろあたってみた。まずは、「バグダッド・カフェ」の「コーリング・ユー」のカヴァー・ヒットで有名なホリー・コールだ。ベスト盤「イエスタデイ・アンド・トゥデイ」の1曲目として世に出た彼女の「アリソン」は、リンダ・ロンシュタッドのテイク以上にあっさり歌われており、ジャジーな要素も薄い、意外なものだった。「アーリソーン」の部分が下がってこないあたりがジャジーといえばジャジーか。歌は非常に上手いので、印象的なカヴァーであることに異論はない。しかも猛烈にそそられるピアノがバックで静かに流れている。ホリー・コール・トリオのピアニスト、アーロン・デイヴィスは、ブルース・ホーンズビーにも通ずる地味ながらもしっかりと印象を残してくれる大好きなピアニストだ。とにかく弾きすぎないところが、ブルース・ホーンズビー以上に好ましい。サンボーンといい、アーロン・デイヴィスといい、饒舌にならないことで、せつない男心を上手く表現しているのではと思いたくなるほどだ。
そのほかには、エヴリシング・バット・ザ・ガールも歌っているし、日本人ではミズノ・マリを擁するパリス・マッチのカヴァー集でこの曲が取り上げられていることが面白い。カフェ・ボッサのコンピレーション盤で知ったこのユニットは、音楽に詳しい連中が作っているなと感じさせる要素をアルバムの随所に散りばめており、なかなか楽しませてくれる。また、ミズノ・マリは自分の声がどういった曲に映えるかをよく理解しているようで、絶対に邪魔になることがなく、BGMとしては最高の部類の声であり、何とも心地よいものが多い。もっと売れてもよさそうに思う代表だ。とにかく日本人のなかでは、ご贔屓にしたい、数少ないミュージシャンである。
要するに、いずれも女性ヴォーカルでカヴァーされているのだ。何度も言うように、せつない男心を歌った歌なのだ。別に自分の経験から言うわけではないが、別れた後の感情に関して言えば、女性の方がさばさばしているほうが圧倒的に多いように思う。ぐちぐちとあれこれ考えて、思い出にしがみついてしまうのは男の常ではなかろうか?この曲然りで、これは男特有の感覚のようにも感じるのだが、いかがなものか。エルヴィス・コステロのファースト・アルバムのタイトルにもなっている「マイ・エイム・イズ・トゥルー」という歌詞を繰り返すところなど、決して女性的だとは思わないのだが、何ゆえ女性ヴォーカリストに好まれるのだろうか?考えれば考えるほど不思議でならない。
春は出会いと別れの季節である。今年は自分自身にも多くの出会いと別れがあった。勤め人にはつきものの人事異動に加え、先日、就職したての時期にいろいろ仕事を教えてくれた先輩の女性が亡くなり、非常に寂しい思いをした4月となってしまった。実際は忙しさのあまり、あっと言う間の一ヶ月ではあったのだが、これで忙しくなかったらかなり辛かったのではなかろうか、とさえ思ってしまう。記録的な寒い4月でもあったが、ようやく5月の声を聞き、夏に向けて開放的な気分になれる時期となった。やっとのことで、自分の気分も少し上向いてきたのだ。普段はあまり、季節感のない生活を繰り返しているが、意外なところで季節感を感じることになってしまった。あれこれ書いてはみたものの、「アリソン」、当分は聴かないほうがよさそうだ。これからの季節の曲ではない。