今年も夏のイヴェントは豪華な顔ぶれでいろいろ開催されるらしいが、もう体力的にも真夏の野外は断念しているので、恨めしいとしか思わなくなってしまった。ミュージシャンも、真夏によくやるなあと思っていたが、今回意外な人物の情報まで入ってきて、大丈夫かなと心配になった。というのも、サマーソニック2010のヘッドライナーとして、スティーヴィー・ワンダーが15回目の来日を果たすというのだ。こういったイヴェントへの参加はあまり耳にしたことがないし、今年還暦を迎えたところといった年齢からしても、「無理しないほうがいいんでないの」と思ってしまうが、大丈夫なのだろうか?
しかもタイミングを合わせて、8月には3枚組みのベスト盤が発売されるという。ご本人が監修に関わっているというから、一応日本側の勝手な企画というものではないらしい。それぞれのディスクが「愛」「調和」「永遠」といったテーマを持っているというあたり、いかにもといったところだ。昔のスティーヴィー・ワンダーはベスト盤をリリースすることを嫌っていたということを読んだことがある。確かに公式のベスト盤は、ヒット曲の数の割には数えるほどしかない。いずれも、本人の拘りが感じられるものだったので、思うにベスト盤が嫌いなのではなく、オリジナル盤に対する自信や愛着など、拘るべき理由があるからこそ、曲の流れなどを再構築するベスト盤に対しても拘っていたのではなかろうか。確かに「トーキング・ブック」「インナー・ヴィジョンズ」「キー・オブ・ライフ」といった大名盤は、いずれもコンセプトが明確なものだっただけに、特定の曲だけを取り出して並べるということは、その曲の意味を100%伝えられるわけではないし、ひどい場合はまったく別物になってしまう場合もあり得る。
そんなベスト盤の中でも、印象に残るものがあった。1981年にリリースされたアナログ版では2枚組でリリースされた「ミュージックエイリアム」というもので、16曲中4曲は新曲が収録されていたものだ。1960年代から天才少年、リトル・スティーヴィーとして活動していた彼は、1971年以降はセルフ・プロデュースに切り替え、音楽に対するスタンスを大きく切り替えた。そして、彼はそこから更なる飛躍を遂げ、ただの天才ミュージシャン以上の存在になったように思う。このベスト盤はその1971年以降の曲しか収録されておらず、選曲的には満足できなかったファンも多かったのではなかろうか?しかし、これは彼の拘りの産物だ。1981年の時点で、彼にとってのベストはこれでよかったのだと思う。1980年代には「ウーマン・イン・レッド」や「イン・スクエア・サークル」といった大ヒット・アルバムもあるし、ポール・マッカートニーとのコラボレーション・シングル「エボニー・アンド・アイボリー」の大ヒットもあったので、この盤がベスト盤として評価された期間は短い間だったのだが、自分としては、「70年代のスティーヴィーの拘りが凝縮されている」という価値が付加されたものだと思っている。
一方、今年の8月末には、ポール・マッカートニーの拘りの大名盤「バンド・オン・ザ・ラン」のデラックス盤がリリースされるという。いつものことながら、いろいろなフォーマットでリリースされるというから、ファンの皆さんも根性を鍛えられる。今回からは、長年ビートルズ関連の音源をリリースしてきた東芝EMIからコンコードに移籍して再発されるということで、音に拘るジャズの名門がどういった仕事を見せてくれるか楽しみではある。「バンド・オン・ザ・ラン」は、以前にも25周年記念盤がリリースされたことがあったが、この盤に関しては、まだまだ未発表音源もあるということだから、楽しみは楽しみだ。ビートルズ解散後40年が経過した2010年に、1970年代の色濃いこのアルバムが、いくらリマスタリング技術が進歩したとはいえ、どう響くのやら。
いまさら書くまでもないのだが、この盤はウィングス名義とはいえ、ポール・マッカートニーと奥さんのリンダ、そしてギタリストのデニー・レインの3人だけで録音されている。しかもナイジェリアのラゴスにあるEMIのスタジオで録音されたという。ドラムスもポール・マッカートニーが叩いているし、リンダ・マッカートニーはもともと、カメラマンであってミュージシャンではなかった。キーボードもポールが弾いているのだろう。こぞってマイナスの評価ばかりしようとするマスコミに嫌気がさして、気分を変えるためにアフリカの設備が整っているとはいい難いラゴスで録音すること自体、かなりのチャレンジ精神だ。曲に自信がなければできないようことのようにも思うが、そういった背景からも相当の拘りが感じられるアルバムなのである。
もちろん、自分は最近のミュージシャンは拘りがないなどと言うつもりはさらさらない。最近のミュージシャンのほうが、レコーディングに時間をかけることも承知している。むしろ、アナログのマスター・テープが高価で貴重だった時代は、頑張って一発OKを目指して、スタジオ・ライヴに近い状態で録音されたものが多いのも事実だ。そのために別の緊張感があったことも確かだが、音がよれていても、また間違ったパートがあっても、そのまま発売されているジャズの古い録音も事情がわかっていれば面白くもあるが、完成度という意味では隔世の感がある。最近の録音もそれなりの拘りを持って作られているということは重々承知しているのだ。
しかし、その一方で長年活動を続けている、ベテラン・ミュージシャンの拘りというものが、最近は気になって仕方がないのだ。というのも、以前は「十年一昔」と言われていたのに対して、最近は「三年一昔」といったスピードで様々なものが変化しているのだ。音楽を取り巻く環境も、ご他聞にもれず激変に晒されている。たとえばiPodといったPCがあることを前提としたリスニング環境は、ミュージシャンの意向に反して、コンセプト・アルバムの曲も切り売りされてしまっている。結局1曲が1ファイルとして構成されるから、その音の連続性や、パッケージ・メディアとしての曲の位置づけといったものは、取り込みようがないのだ。昔から活動しているミュージシャンはこの辺の変化をどう感じているのだろうか?自分が作った昔のヒット・アルバムが切り売りされていることを悲しんでいなければいいのだが。結局は時代が変わったのだ。時代の変化まで加速している状況で、昔のままでいる方が無理なのかもしれない。ベテランが働き続けるには、骨が折れる時代になってしまった。利便性最優先で曲が切り売りされることに比べれば、時代感覚を取り込んで再構築されたベスト盤などは、まだまだ許せるものなのかもしれない。