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第1回
「闇の子供たち」

著者梁 石日
価格1.800円
出版解放出版
発行年2002年

 みなさんは国際児童年を覚えていますか。
世界のすべての子供たちの福祉の向上と人権が保障されることを目指し、国連で批准されました。もちろん日本も批准しています。
しかし、今でも多くの子供たちは強制労働や戦争、貧困、そして幼児売春によって苦しめられています。
日本人がアジアのある国で幼児買春をした罪で強制送還された事件は記憶に新しいところです。
今回紹介する「闇の子供たち」はタイの幼児売春の実態を余すところ無く書いています。
 舞台はチェンマイから約130キロ離れた北部山岳地帯から始まります。
主人公は8歳のセンラーと10歳のヤイルーンの姉妹です。日本にいれば遊び盛りの年齢ですが、すでに姉は8歳のときに売られて、売春宿で働かされています。妹も約3万6千円で売られていきます。父親は娘と別れを惜しむというよりは、あたかも農協に出荷する野菜のように売買の交渉をします。それが何か特別なことではなくて、村では当たり前なのです。
 需要と供給の関係から、児童売春にも世界各地にお客がいます。もちろん日本にも。
そのお客を喜ばすために、プロとして徹底的に仕込まれます。時には子供同士のセックスショーもやらされながら、あるいは、ホルモン薬を注射しながら。そして、そういう子供たちを本国に連れて帰り、手元において楽しみたいという大人もいるのです。
表向きは養子縁組ですが、まさしく性の奴隷です。実態は生き地獄。子供たちに救いは無いのでしょうか。
もちろん、現地の社会福祉センターの働きも描かれています。所長や日本人ボランティアの目覚しい活動に応援したくなります。しかし子供を売ることが当たり前になっている社会では、どうすることもできないのです。
やがて、当然のように子供たちは病に倒れていきます。
姉のヤイルーンはエイズに罹り、置屋を追い出されます。生きたままゴミ袋に入れられて、ゴミ捨て場に捨てられます。彼女はゴミ袋を破り、ゴミ捨て場の腐った食べ物を口いっぱいにほおばって、故郷に向かって歩き始めます。行きかう人は穢れたものでも見るように彼女に近づくことはありません。蟻や蜘蛛やゴキブリ等を食べながら、時には木の皮さえも口にして、やっとの思いで村に帰ります。そこで会えた父親から「人間か?」とナタを振りかざされるのです。そして村で檻に入れられてしまいます。もちろん手当てはしてもらえません。「あんた!あんた!ヤイルーンが蟻に食べられてる!」母親の叫び。父親はガソリンをまいて、娘を焼き殺してしまいます。

「鬼畜」そう呼ぶのは簡単です。しかし、そう簡単に断じることはできるのかと作者は畳み掛けるように私たちに二の太刀を向けてきます。しかも善意の社会福祉センターの人間を通して。
 幼児買春の顧客が現場を撮影しても良いという話がやってきます。もし撮影に成功すれば国際舞台で証拠を提示できる絶好のチャンスです。撮影現場でスタッフの男性は欲情してしまいます。「あんたもわしとあの子のセックスを見て興奮したはずだ。ちがうかね。快楽に聖域はない。・・・人間は残酷な生き物だよ」まるで説教でもするかのように顧客は自分の哲学を述べます。
ここで聖書に出てくる「姦淫の女」の例えを思い起こしました。
イエスは女に石を投げる群集に向かって「今まで一度も罪を犯さなかったものが石を投げなさい」というと、みな立ち去ったのです。
では、誰が子供たちを救うのか?
私たちが躊躇するまもなく、妹センラーが臓器提供で売られていきます。当人には何も知らされずに。
誰かいないのか!思わず叫びたくなるような展開の中で、叫び声はむなしく消えていきます。
日本人ボランティアの恋人の新聞記者が言います。「この国の子供のことは、この国の人間が解決するしかない。君は所詮、この国では外国人なんだ。」
「世界に名誉ある地位を占めたい」という理想はこの新聞記者の辞書にはありません。

誰しもが持っている欲望。それこそが「闇」の根源であり、だからこそ救いようがないように思えるのです。
宮崎駿の「千と千尋の物語」でも、欲望の塊である「顔なし」が出てきました。
大人が作り出した世界各地にいる「顔なし」。それを救うのはやはり「千」には「ハク」がいたように、子供と共に笑い、涙する存在の必要性ではないでしょうか。
日本人ボランティアが子供たちに「さあ、みんなで食事を作りましょう」と言うところで物語は終わっています。

2003/07/07