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第11回
「ブラックジャックによろしく」(1巻〜4巻)

著者佐藤秀峰
価格533円
出版講談社
発行年2002年

 シュバイッアー博士が医学の道を志したきっかけは、1枚の写真だった。
白人の大きな手にのせられた小さな黒い手。この写真が、欧州ですでにオルガニストとして名声を博していた彼をアフリカに駆り立てた。全てを捨てて、アフリカの医療に全霊を捧げたのだ。ひとの命を救う、そのために医学の道を志すという当たり前のことだが、胸を打つ。

 今回紹介する作品は恥ずかしながら、つい最近まで知らなかった。先日新聞で医者の間でも話題になっているというので、あわてて購入して読んだ。
現在も週刊モーニングに連載中で、斉藤という研修医(国家試験に合格して2年間の研修を義務付けられる)を通して、日本の医療の現実を暴き出す。
医学部出身の手塚治の書いた「ブラックジャック」は一匹狼で凄腕の外科医だったが、斉藤は見習いの研修医。限りなく素人に近いが、だからこそ見える理想と現実のギャップ

 冒頭から研修医の実態が語られる。
1日平均労働時間16時間、月給3万8千円。当然、家賃も食費も出ないから病院の夜間アルバイトに出る。
そして、勤務先の夜間の病院にはアルバイトの研修医しかいないというのも珍しいことではない。
アルバイトの研修医の80パーセントが単独診療を経験している。しかも単独診療を経験した研修医の90パーセント以上が不安を抱えながら診療をしているのが実態。
何故、研修医のアルバイトを用いるのか。病院の数が多いために常勤の医者の数が圧倒的に少ない。だから、研修医の夜間アルバイトを使う。結果的にそれで患者の命が救えればよいというのが今の現実。
だが、どこかおかしいと思うのは主人公の斉藤だけではないだろう。

やがて、研修先の大学病院で問題を起こした斉藤はNICU(新生児集中治療室)に回される。指導医は「NICUってのはよ・・・人間の領域をふみこえた場所かもしれないぜ」
と脅かされる。
私も主人公同様に未熟児を育てる部屋くらいにしか考えていなかった。
薬の投与は100万分の1グラム単位、聴診器でさえ冷たいまま当てたら心臓が止まるかもしれないという世界だ。

 ここに不妊治療の末に双子を授かった弁護士夫婦が登場する。
妊娠28週で帝王切開で生まれてきたために、高い確率で障害が残ると告げられた母親。
子どもたちに会おうともせずに、「死なせてやってください」という父親。

「産んだ人間と生まれた人間を親と子にしてやる。ここからが俺たちの仕事だ」
指導医の言葉が心を打つ。
双子の弟は腸閉塞のために手術をしなければならないが、この父親は承諾しない。
どうするか。親権停止して、研修医の斉藤が育ての親になるか。
子どもの命を救うにはそれしかない。そんな時、バイト先の病院長に言われた「正しいことは弱いことだ。強いことは悪いことだ」が斉藤の脳裏をかすめる。
ついに指導医は親の承諾を得たと嘘をつき、手術にこぎつける。

「あなたなら育てられる。だからあの子はあなたの許にやってきたんだ。」という指導医の母親への説得は全ての母親へのメッセージではないだろうか。
 母親もまた他者との関係性において支えられるのではないだろうか。夫婦を越えた社会とのつながりの中で、自らとその子どもを育むことが可能になる。それが、子どもの社会性の獲得や自立にもつながる。そこに指導医は一役買ったのだ。

物語は父親が術後の子どもに「お父さんだよ、お前に見せたい景色があるんだ」と言って、3人で夕焼けの海岸にたたずむ場面で終わっている。
障害児は不幸だと言い切った父親に何が起こったか。
自らの正しさを捨てて、一生考え続けるといえるようになった父親。
人は変わりうるし、変わることを恐れてならない。

2004/3/2