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第15回
「それでも私は戦争に反対します。」

著者日本ペンクラブ編
価格1600円
出版平凡社
発行年2004年

 今話題のトレビアの泉ふうにいえば「自衛隊の発足に私たちの江東区が関係していた?」○か×かということになる
自衛隊の前身である警察予備隊の駐屯地は越中島にあった。そして今、市ヶ谷にある防衛庁の庁舎も最初は越中島にあった。さらに陸上自衛隊の印刷部門もこの越中島で産声をあげている。
夢の島にある戦後ビキニ環礁で被爆した第五福竜丸と、越中島の自衛隊発祥の地の二つを抱えた江東区はまさに現在の日本の姿を象徴しているようではないか。

 今回紹介する作品はイラク戦争への自衛隊派遣に際して、日本ペンクラブが緊急出版した。
政府による「復興支援」という日本語特有の言い換えによって事実をすりかえることに対して、はっきりと自衛隊の「派兵」といい、戦争に反対している。
浅田次朗、井上ひさし、田原総一郎、渡辺えり子など、45名が寄稿している。

 自らも自衛隊の経験もある浅田次朗は冒頭の創作の中で次のように書いている。
「国会答弁で総理大臣が『軍隊でしょ』といったのには驚いた。そりゃ有難いといえばそうだが、あんなふうにアッサリいわれたんじゃ、身も蓋もあるまい。なんだか五十年の艱難辛苦を、『ご苦労さん』の一言で片付けられちまったみたいな気がした」
今でこそマスコミに毎日のように報道され、国際貢献のエースのようにもてはやされているが、かってはその制服姿を見せることすらはばかれた時代があった。

 決して実戦に出ることはないので「おもちゃの兵隊」と言われた。
その「おもちゃの兵隊」、550名が今イラクのサマワにいる。
「あのな。ロートル小隊長の最後の命令を聞いてくれるか。お前、撃たれても撃ち返すな。橋や学校をこしらえて、もしゲリラが攻撃してきたら、銃を執らずにハンマーを握ったまま死んでくれ」

レマルクの「西部戦線異状なし」の中にも倒れている敵兵の胸ポケットの中に家族の写真が入っているのを見て、同じ人間なんだと悟り戦争のおろかさに気がつく場面が出てくる。
紛争解決の手段としての戦力を否定している以上、自衛隊といえども同じ人間の生活を奪うことはできない。

 山口瞳も浅田と同じく次のように書いている。
「私は小心者であり臆病者である。戦場で何の関係もない何の恨みのない一人の男と対峙したとき、いきなりこれを鉄砲で撃ち殺すようなことは、とうてい出来ない。『それによって満足を得る』ことは出来ない。卑怯者としては、むしろ撃たれる側に命をかけたいと念じているのである」
国際社会における名誉ある地位とはこのようなことをいうのではないか。
マハトマ(偉大)といわれたガンジーは非暴力・非服従によってイギリスから独立を勝ち取ったが、その過程は一貫して一方的なイギリスの軍事力に撃たれる側であった。

 国民に大きな衝撃を与えた二人の外交官の現地での殺害事件があった。
特に亡くなった奥大使の「ここまでやってきて、手を引けますか」というメールは話題になった。
この件に関して養老孟司は次のように述べている。
「中国との戦争が、ついには世界を相手にする無謀といわれる戦争を引き起こしたことは、通説だと思われます。その契機こそが、『現地』であった関東軍の暴走とされています。戦後でこそ『暴走』でしたが、当時の現地の気持ちとしては、『ここまでやってきて、手を引けますか』であったに相違ない。それまでにも、大勢の皇軍の兵士たちを犠牲にしてきているからです。ですからその後の事態は、本来現地の暴走を抑えるべきであったが、抑え損ねた東京の政府の責任ということになっておりましょう」

 今の日本の状況は非常に危険になってきているのではないか。ひとつの方向に議論が集約されやすい。砂漠の地を行く装甲車の列を見せられて「戦争をしに行くのではないんです」と総理に言われても、ハイそうですかとはいかないはずだが・・・。
チャーチルは「全ての戦争は防衛の名ではじめられる」と言っているが、戦争をしに行くとはっきり言う政府は、アメリカをはじめとしてない。

 今回の復興支援に対して、反対なら代案をと友人と議論になったことがあるが、日垣隆による名案がでているので紹介する。 
「サダム・シティは、バクダッド市内で最も危険な一帯だ、とされています。非常に危険だとパレスチナホテルに住みついて外に出ない記者たちだけでなく、米軍兵士もガイドも口を揃えて言うのです。が、実際に行ってみると、とてもとても愉しいところでした。
 好奇心旺盛な『少年のような』イラクの男と本物の少年少女たちは、珍しい観光客をあっという間に取り囲み、まるでビートルズ!でも来たかのように大騒ぎとなってしまったのです。
 湾岸戦争以来十三年、イラン・イラク戦争以来では二十三年間、イラクに生まれ育ったあなた方は『外国人』といえば兵士とジャーナリストしか見たことがなかったのですね。そのことを体感し、私は胸が押しつぶされそうになりました。
 日本から中途半端な軍隊を一千人送り込むより、一千人の観光客と一千人の大工がイラクを訪れたほうが数段、復興支援と両国の良好な関係に資することは疑いない。私は強い確信をもちました。

「縄跳びの緑野戦火の見え隠れ」     酒井弘司

世界中の子供たちに笑顔を取り戻すために粉骨砕身努力する、これが戦後日本の崇高な使命のひとつと考えている

2004/3/30