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第17回
「父のこと 母のこと」

著者日本エッセイストクラブ編
価格1700円
出版岩波書店
発行年2004年

 二人の子どもを育てるようになって、少し父や母の気持ちが理解できるようになってきた。先日も小四の娘とカレーライスを食べたときのこと。娘は煮込みチキンカレーの大盛り、私は好物のカツカレーを注文した。カツは絶対に他人にあげないのだが、娘に一切れを分けた。わたしも子どもの頃はよく、父や母に分けてもらったのを思い出した。

 今回の 「父のこと 母のこと」には森茉莉、高峰秀子、沢村貞子、岸田今日子ら二十人のエッセイ集だ。
まえがきには次のようにある。
「人生の悲劇の第一章は親子となったことにはじまっている。」
(芥川龍之介『侏儒の言葉』)
親子とはひとつの業かもしれない。

森茉莉は父である鴎外との関係を「私の父母は愛し合っていたけれど、父の愛情はおお偉きいの、母は取越し苦労が多かったので、二人でいさえすれば楽しいというようではなかった。そのために或時期はことに、私は父の恋人の代わりのようになっていた。」と述べている。
ご存知のように鴎外の作品「舞姫」の作中人物エリスは鴎外の実在した恋人がモデルだといわれているが、茉莉もまたその恋人の代わりを果たしていたのではないか。
明治期、帝国陸軍医官の森林太郎(鴎外)には外国人との結婚はかなわぬ夢であった。

 茉莉が十七歳で夫と欧州を旅行したときに、いろいろな場所で「父の心」にあったように思ったと書いている。父と同じように茉莉もまた父を好きだった。
茉莉はこの作品をおさめた「父の帽子」で文壇デビューをした。

 父と娘の関係では「三太郎の日記」の著者である阿部次朗の娘の大平千代子も取り上げている。
「父は、四十代の入り口で生まれた最後の女の子である私を、どんな親もまねできないような可愛がり方で可愛がってくれた。そして子も又、これ以上ないという甘ったれ方で、長く父にへばりついた。」
「へばりつく」、どこかほのぼのとした表現ではないか。とってもとっても離れることの無い親子の愛情。それが、子どもの成長を促す。

 生命科学者である柳澤桂子も「二重らせんの私」の中で植物学者であった父とのエピソードを書いている。
植物は痛くないの?植物は動かないの?という小学生の娘に論理的に、父は時には実験もして説明している。そして小四の娘の研究のために、戦後の食べ物も十分になかったときにもかかわらず、真っ白な紙を問屋から買いこんできた。
戦後は紙不足で、出版事情も悪かった時代だ。
当時のことを柳澤は「父がこの世の中で何が大切だと思っているかということを感じ取らせた。私は、書くということの幸せを知った。」と書いている。

 柳澤は科学者としてこれからというときに原因不明の難病にかかり、長い闘病生活の後に奇跡的に回復をした。再び書けるようになったのだ。
書くという幸せへの渇望、それが奇跡を可能にした。そして、その根源がこのときの体験にあった。
育むとは生きる力を身につけることだと言われるが、正にその通りだ。

 この作品の中に、かって読んだ「広島第二県女二年西組」(1985)に再び出合った。
物語は学徒動員中に広島原爆を浴びた西組の生徒の物語だ。
被爆した娘とやっと再会する。しかし娘の変わり果てた姿。
「これはうちの子じゃありません。うちの子は、私に似て、顔が細くて小さいんです。うちの子じゃ、ありません」
娘の名前を呼ぶと「ハイ、ハイ」と返事をする。

「お母さん、水。水が飲みたい」
火傷している者に水を飲ませると死るよ。
「ええんじゃ、お母さん。この人はもう助からん。助からんものを注射して何とかもたしとる。今夜、越せるかどうか危ない。心ゆくまで飲ましてやりんさい。」

「お母ちゃん、泣いちゃいけん。うちらは、こまい(小さい)兵隊じゃ。兵隊がお国のために死ぬのに、泣いちゃいけん」
娘の文枝の命日は母静江の誕生日でもあった。
これほど悲しい誕生日はない。

2004/4/13