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第18回
「ウエルカム・ホーム」

著者鷺沢萠
価格1300円
出版新潮社
発行年2004年

 4月11日、鷺沢萌が自ら命を断った。1968年生まれだから、今後も活躍が期待できる若手だった。原因は判っていない。公式HPの彼女の日記からもまったく自殺の兆しは窺えない。少しでも彼女の気持ちに迫りたいと思いこの作品を取り上げた。
 作品は2つの物語から構成されている。
最初は男二人と子どもが同居している家族のお話。何故、男二人なのか。同性愛者ではない。ならばどうしてか。一人は一家の働き手であり、もう一人は主婦として家事と子育てに従事している。もちろん恋愛関係ではない。単に大学時代の友人同士が互いに必要とする役割を補っているだけの話なのだ。

 部屋代を浮かせるために、共同生活をすることはよくある。家族の役割分担をするために、同姓が同居するという話は聞かない。やはり性役割が固定されているからではないか。
確かに近年は平日の昼間でも、公園で子どもを遊ばせているお父さんを見かける。しかし、それはお父さんであって、他人ではない。
この家族の中の少年もお父さんが二人いると作文に書いている。家にいるのはお父さんではなければ具合が悪いのだ。男をお母さんは呼べない。料理や洗濯、掃除をするお父さん。

作者はこの作品で一組の男女とその子どもからなる家族という概念を覆している。一緒に暮らす一組の男女とその子どもが必ずしも家族とは呼べないような事件が続発していることを見れば当然かもしれない。しかも従来の性役割が壊れてきている。
この作品に出てくるタケパパは、料理は上手だし、教育熱心で子どもの成績も抜群だ。しかし、社会人としては離婚して会社を潰しているので失格かもしれない。
一方、本当のお父さんは猛烈サラリーマンで家事をやるゆとりはまったくない。そんな二人がうまく補っている。このフツーではない関係について本当のお父さんは言う。
「自分が向いていない分野のことは、向いているヒトに任せる。その代わり、自分は自分が向いている分野で役に立つ。それでいいんじゃないっすかね。」
これがフツーではないか。

一緒に住む六年生の子どもは、タケパパも僕のお父さんだから、タケパパの子どもは僕の兄弟になる。一緒には住めないと思うけど、一緒に住んでいなくても家族だと僕は思う。と作文に書いている。
一緒に住んでいるフツーの家族の欺瞞を作者は見抜いている。
空に舞い上がる風船のようにバラバラになった家族。その家族を再び地上に引き戻すことは可能だろうか。

 次の作品は二回の離婚歴のある三十代の働く女性。今風に言えば「負け犬」だろうか。
そんな彼女は「誰かを好きになって、その人と褥をともにするような関係になったら、当然のこととして結婚する」という考えの持ち主だ。
そして、この考えを手塩にかけて育てた娘も受け継ぐ。
セックスと結婚は別というのがフツーな時代にあって、ここでも作者は時代の流れに否を唱えている。
この娘が妊娠して、その胎動を主人公が手で感じていると、お腹の赤ん坊が突然動き出した。
「あ!起きた!」
かって自ら流産したわが子に再会した喜びで終わっている。

この本の表紙の挿絵では、長い橋の上で自転車に乗った少年がこちらを振り返っている。夕日に染まったその様子は、時代を気にかけながら、旅立つ作者の姿ではなかったか。


追記
「博士の数式」が全国書店員が選んだいちばん!売りたい本「本屋大賞」の一位に選ばれた。本の雑誌の増刊号の中で作者小川洋子は次のように述べている。
「広大な言葉の世界の前にひざまずき、辛抱強く、その美しさを掘り起こしてゆく。そうすることがつまり、小説を書くということなのだ。」

2004/4/20