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第21回
「LAST」

著者石田衣良
価格1600円
出版講談社
発行年2004年

 私の住む江東区の地場産業で最も多いのは印刷関連業だ。このサイトのオーナーの元さんも印刷業で私は製本業だし、小学校の副読本の『私の江東区』にも印刷工場の写真が掲載されている。また、都内で唯一の印刷団地も江東区にある。

 今回紹介する作品は7編の短編からなり、珍しく製本会社を舞台にした話がのっている。 「ラストライド」は製本会社の社長、修二にローン会社から電話がかかってくるところからはじまる。主人公は四十七歳で妻と一男一女。家族構成と年齢も私に近いのでハラハラしながら読む。
多分愉快な話ではないだろうと大方予想して読むと、やはり倒産寸前の製本会社だ。

作者は製本会社をよく取材して書いている。製本というと「本を作っているんですか?」と聞かれることがよくあるが、本というよりは印刷された紙の後加工、たとえばパンフレット等も作っている業者のほうが多い。作者はその辺の様子をきちんと書いている。
場所は江戸川橋のモルタル2階建て、1階は工場、2階は自宅。機械は中古の丁合機や紙折り機なんかとある。江東区と同じように江戸川橋も印刷関連業が多い土地柄だ。
また、製本業界も組合の加盟数が半減するくらいだから業況は悪いのも事実だ。
江東区内でも夜逃げや倒産した製本会社もあるから、同の他人事とは思えない。

 信用金庫に三千万、サラ金に八百万、小切手金融に千六百万。この信用金庫の分を除いた分、二千四百万円の督促の電話だ。
「あんたはもうおしまいということだ。うちが債権を買い取った以上、あんたには最後の出口もなくなった。自己破産さえ許されない」
家族を売るか、生命保険のために自殺するか、二つに一つと修二に迫る。
私の知人も、夜逃げの後の自宅兼工場にはヤクザが入って、ほかの債権者を寄せつけないようにしていた。もちろん、夜逃げした知人たちの行く先はいまだに判らない。

「まあ、ゆっくりと考えてみるがいい。生き残るのも地獄だぞ。それもこれも、あんた自身のまいた種だ。借金をこさえたのはあんたなんだからな。家族には何の落ち度もない」
確かにそうだ。会社の経営責任は社長にあるし、その失敗を家族に押し付けるわけにはいかない。だからこそ中高年の自殺が年間三万人にのぼるのだ。しかし、残された家族はどうなるのだろう。

 修二に一人に見張りがつく。かって修二と同じ立場に追い込まれ、妻を売った挙句に自分もヤクザの使い走りになったのだ。
修二はその男にほかの方はどうでしたかと聞くと、
「お客様のほとんどは自分が犠牲になって家族のためになるならと、覚悟を固めてしまわれるからです
家に帰った修二は家族一人一人に別れを告げる。
娘は心配そうに言う
「それよりうちの工場ほんとうにだいじょうぶなの。わたし、高校はいったらバイトするからさ、それまではおとうさん、なんとかがんばってよ」

私自身もここまで娘に言われたら言葉に詰まるだろう。
以前ひとつのプロジェクトを終えたときに娘に『どうしてやめちゃったの』と聞かれて何ともいえない気持ちになったことがある。もちろん支援者の方には申し訳ないという気持ちでいっぱいだったが、娘のことまで考えていなかった。
子どもに残してやれるのは父が如何に生きたかという一点にかかっている。それを思うとき、自分の決断に最後まで責任を持つことを痛感する。

 この子たちの将来のために自分はなにをしてやれるのだろうか。
あの平穏と輝くような平凡さを誰にも乱させる訳にはいかない。修二は心に固めた。
輝くような平凡。何気ない日常にこそ、私たちに生きている意味があり、意義がある。
歴史に残ることもない名もなき人生。
修二はサイドブレーキのレバーを戻して自宅を後にした。

『世の中思いどおりに いきられないけれど
 下手くそでも一所懸命 俺は生きている』
「関白失脚」   さだまさし           

2004/5/21