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第26回
「聖の青春」

著者講談社
価格1700円
出版大崎善生
発行年2000年

 将棋の五十五期「名人」戦第二局が平成9年4月、江東区内のホテルイースト21で行われた。羽生善治名人(五冠)に谷川浩司竜王が挑戦し、第二局は羽生名人が勝ったが最終的には谷川竜王が名人位を奪還した。
当時江東区で「名人」戦が初めて行われるとあって、会場のイースト21は将棋ファンで賑わった。

 今回紹介する作品は、谷川浩司王位・棋王を目標に二十九歳の若さでこの世を去った、村山聖(さとし)八段の物語だ。
プロローグには次のようにある。
「やさしさ、強さ、弱さ、純粋さ、強情さ、奔放さや切なさといった人間の本性を隠すこともせずに、村山はいつも宝石の原石のような純情な輝きを放っていた」
昭和44年6月15日、村山聖は広島で誕生した。そして5歳で腎ネフローゼを発病する。
入院生活の気晴らしになればと父親が将棋をすすめた。漢字も十分に読めないのに、小学2年生のときには「将棋世界」という専門誌を読んでいた。それも病院のベッドの上で。
村山は中学1年のときに真剣師といわれた小池重明を対戦して破っている。小池重明は本でも取り上げられているくらい将棋界では有名な人物だ。その小池をして「僕、強いな」と言わしめた。

 プロになりたい。もちろん健康な体であれば両親も諸手を挙げて賛成だろう。しかし彼にはネフローゼがある。
中学1年の村山は言う。
「谷川を倒すには、いま、いまいくしかないんじゃ」
大阪の森信雄六段に弟子入りする。
二人とも大の風呂嫌いで髪も伸び放題。村山は爪も切らない。
「どうして、せっかく生えてきたものを切らなくてはいけないんですか。髪も爪も伸びてくるのにはきっと意味があるんです。それに生きているものを切るのはかわいそうです」
念願の奨励会に入るも、体調を崩し翌月には入院。対局をどうするか。病院を抜け出して対局し、終わったら誰にも知られないように病院にUターンする、そして2,3日休む。それを繰り返した。ついに奨励会在籍2年11ヶ月、17歳でプロ入りする。これは村山の体調を考えれば奇跡的なスピードだ。

 プロになり麻雀や酒も覚えた。北海道への一人旅もした。
村山の部屋にあったメモには次のように書いてあった。
「何のために生きる。今の俺は昨日の俺に勝てるか。勝つも地獄負けるも地獄。99の悲しみも1つの喜びで忘れられる。人間の本質はそうなのか?人間は悲しみ苦しむために生まれたのだろうか。人間は必ず死ぬ。必ず。何もかも一夜の夢」
対戦しては体調を崩して寝込むという過酷な戦い。彼の願いは「神様除去」だった。
願いを聞いてくれるはずの神様を除去したい。地獄の中を村山は生きていた。
「ぼくには二つの夢がある。ひとつは名人になって将棋をやめてのんびり暮らすこと」
「もう一つは素敵な恋をして結婚することです」
女の子と手をつなぐことさえ叶わなかった村山。
病気で長生きできないから、相手がかわいそうだと言っていた村山。

平成7年11月には初めて谷川に勝った。
そして平成8年の10月から11月にかけて、村山は中原永世名人、森内、佐藤康光、谷川等の実力者を下し8連勝する。
羽生は言う。
「村山さんはいつも全力を尽くして、いい将棋を指したと思います。言葉だけじゃなく、本当に命がけで将棋を指しているといつも感じていました」
そして平成9年、膀胱がんが村山を襲う。
手術は成功し、退院してすぐ後に名人となる丸山忠久と対戦する。
それ以後、一度陥落したA級に奇跡的に復帰した。
しかし、がんの再発が宣告される。
容赦ない痛みの中で、村山は麻酔や鎮痛剤のたぐいを一切拒否していた。
すべては「名人」のために。
平成10年8月8日、村山は帰らぬ人となった。

命を懸けて戦った村山聖。
病魔に冒され死を目前にしても諦めなかった、その生き様は胸を打つ。

2004/6/22