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第28回
「失われる物語」

著者乙一
価格1500円
出版角川書店
発行年2004年

 江東区には日本のキリスト教の中心となる施設が二つある。
一つは潮見にある日本カトリック会館。そこには日本のカトリック教会を包括するカトリック中央協議会がおかれ、建物の正面にはマリア像が飾ってある。そして隣には戦後、浅草花川戸から移転した「蟻の町教会」がある。
もう一つは、東京YMCAの東陽町センター。東京YMCAも創立124年のキリスト教を基盤におく団体だ。
日頃の生活からは、これらのことは目に見えない。だが、区内の児童福祉には東京YMCAや賀川豊彦の雲柱社が関与して、キリスト教精神に基づいた活動を行っている。
 
 今回紹介する作品はキリスト教的なテーマだと思って取り上げた。ただし、作者は作品を通して何か言いたいことがあるわけではないと断っている。
六つの短編のうち、「傷」と題する作品が非常に印象に残った。
アサトという名前の少年は他人の傷に触れることによって自分にその傷を移すことができる。傷口、傷跡、病気、そしてそれに伴う傷みも。移した者はすっかりなおり元気になる。
作者はホラーの名手なので、怖いお話と思えばそれまでだが、これはイエスの癒しの奇跡に似ているのではないかと思った。
アサトは次々に病気やけがをした人たちの体を治す。そんなことを続けていたら体が持たない。

聖書には「泣くものと共に泣く」という箇所がある。相手と同じ気持ちになるには、相手と同じ悲しみや苦しみを味わうことなしには不可能だと解釈している。それをアサトは実行している。凄まじい苦しみ。
「だれかが痛がって苦しむくらいなら、この方がいいよ」
無数の傷跡と痣、縫合の跡、もはやアサトの体は人間の体ではない。
アサトと同じ能力があっても、自分には可能だろうか?
何故、アサトはここまでやるのか。彼には母から殺されそうになった過去があった。
もう自分はいらない人間だと思い知らされた夜。
「もうこれ以上、生きていたくないよ・・・」
だからこそ、みんなの苦しみを背負って生きてきたアサト。
全ての罪を背負って十字架にかかったイエス。
どちらも純粋な心の持ち主だった。

 アイスクリーム屋のお姉さんの顔にできた痣を治す。
「お願い、三日間だけでいい。わたしの顔の火傷を吸い取って」
すっかりきれいな顔になったお姉さんは立ち去る。
しかし、約束の三日間が過ぎても、お姉さんは現れなかった。
アサトは子どもだからお姉さんの嘘を信じることができたのだ。その行いを笑うことは簡単だが、まねすることは難しい。
親友が自分の酒乱で暴力を振るう父親に傷を移すことを進めるが、移すふりだけして移さないアサト。子どもにアイロンを投げつけるような親なんかと思うが、アサトはやらない。
親友は思う。
「穢れのない魂にだけ備わる、自己犠牲の力なのだろうか。」
親友はアサトの傷を半分、進んで引き受ける。
母から捨てられた二人。でも今は一人ぼっちじゃない。
「あまりに無垢だから、何度も人に裏切られ、傷ついて絶望するかもしれない、だけどこれだけは知ってほしい。おまえは、大勢の人間の救いなんだ。たんに、怪我を治してあげられるって意味じゃないんだぜ。おまえがいつも優しくて、他人のことばかり考えているということがはるかに多くの人間を暗闇のような場所から救い上げるんだ。だから、おまえが、いらない子なはずが無いよ。おまえが死んだら、オレはきっと泣く」
 
 無垢なる存在こそが人々の救いとなる、まさしく神の子の物語だ。

2004/7/6