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第37回
「大江戸死体考」

著者氏家幹人
価格680円
出版平凡社
発行年1999年

 集団自殺にヒントを得たわけではないのだが、今回は江戸時代の死体の話。
今も隅田川に水死体が時折あがる。もちろん、すぐに警察が来て調べるわけだが、江戸時代は川や池に浮かんだ死体は流れにまかせて、そのままにしておいた。なぜかというとあまりに数が多すぎて、検死ができなかった。そして奉行所への報告も必要なかった。
だから川に浮かんだ死体を将軍が目にしても、回りのものはお咎めなし。
こんな状況だから死体を検死するお役人も大忙しで、マニュアル片手に時には情をはさみながら仕事をした。もちろん、情に賄賂はつき物で、それをあてにして仕事をしていたようだ。
 
 その死体で刀剣の試し切りをする仕事、据物師という職業があった。
かなり仕事は繁盛したようで、将軍家はもちろん、大名家からも依頼が引きも切らなかったという。だから刀剣の目利きも鋭いものがあり、その依頼もあった。
そして試し切りが各地でも行われ、その死体の確保に大変だったらしい。
しかも解剖学が流行るようになると、医師と据物師との間で死体の取り合いになった。

 据物師の江戸の山田浅右衛家はたいそう裕福だった。なぜなら、薬の製造を手がけていたからだ。それは死体から胆嚢を取り出して薬にすることだった。その名は人丹。山田家には肝の蔵まであった。
人の臓器が珍重されたのは事実で、頭蓋骨、陰茎、尻肉等の密売が明治時代になってもあった。明治41年の新聞記事によると人油、人骨粉まで密売されていた。

 据物師の仕事は他にもあって、介錯もあった。太平の世の中にあっては、首を切ることのできる武士もいなくなっていた。時によっては9回目でやっと切れたということもあり、据物師たちに仕事が来た。しかも全国から仕事の依頼が来る、だから藩によっては藩士を山田浅右衛家に弟子入りさせた。
一刀で切り落とすのは技術がいるのだから、据物師のようなプロフェッショナルが必要だった。
明治13年の刑法によって、死刑は絞首とすることが定められるまで山田浅右衛家による首切りは続いた。

2004/11/30

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