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●絶望を希望へと転じた崇高な魂の劇●
山下京子 著 (河出文庫)
泣いた。感動した。魂を揺さぶられた――。
事件(神戸少年事件)から1年と経たないうちにワープロと向かい合うまでにどれほどの勇気を奮い起こしたことだろう。キーを叩くことは我が子の死を見つめることに他ならない。指先に込められた力は心の勁(つよ)さそのものだと私は想像する。
娘の死、しかも惨殺、その上、犯人は少年。三重の悲劇は言語に絶する苦悩をもたらし、精神がズタズタに切り刻まれるほどのストレスを与えたに違いない。余りにも過酷な運命と対峙し、もつれ合い、叩きつけられそうになりながらも立ち上がった母。それを可能たらしめた力の源は何か? 生きる力はどこから湧きだしたのか? 絶望の淵から希望の橋を架けられたのはなぜか?
ページをめくり、感動を重ねるごとに疑問は大きくなる。
音楽コンサートを通して文化を語り、報道被害の体験からマスコミに警鐘を鳴らす。実生活の中から紡ぎ出された。人生観・人間観がちりばめられている。机上の哲学など足元にも及ばぬほどの人間の叡智(えいち)が輝いている。それはぜか?
疑問はどんどん膨らみ雲のように立ち込める中で、彩花ちゃんの姿の輪郭がくっきりと見えるような気がした。あっ、と思うと雲は吹き払われ、彩花ちゃんの直ぐ後ろに山下京子さんがいた。
母と娘(こ)の絆だったのだ。死をもってしても揺らぐことのない、死をも超えた永遠性をはらんだ絆だ。時空をも超越した生命的なつながり。次なる生によって再び母子(ははこ)と見(まみ)えるであろう確信。事件を必然性から捉える達観。山下さんは永遠なる絆を絶対的ともみえる態度で信じられるのだ。その生命と生命の絆は更に普遍なるものへと昇華し、犯人とされる少年Aをも母性によって包み込もうとする。行間に涙があふれ、紙背に血が滴る思いで記された言葉は限りなく優しい。
山下京子さんの崇高な生きざまに接し、私の心までもが浄化された感を抱いた。
事件に同時代性があるだけに、『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル著/みすず書房)以上の感動を覚えた。
これほどの魂の劇と、慈愛の詩(うた)と、聖なる物語を、私は知らない。 |
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