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元さんのとっておき
■第38回 『通りと囲碁』
02年03月10日
前回、江東区の道路(厳密には江東区北部及び墨田区南部ですが)は碁盤の目のように縦、横まっすぐだって話をしましたが、今回はそれに関連した話です。
・・・で実は本当に碁盤と関係があるんですよ。

昔、堅川の北岸、現在の墨田区両国二丁目〜四丁目あたりに本所相生町という町がありました。この地に本因坊さんという人が住んでいました。
本因坊家というのは囲碁の名家の家元です。特に初代本因坊の「算砂」、4世「道策」、14世「秀策」は棋力が高く、「秀策」は最近では漫画の題材にもなってるのでご存知の方も多いかも。「ヒカルの碁」ってやつです。
現在でも囲碁のタイトル名にもなってるぐらいですから(名人とか、十段とか、 棋聖とかってやつです。 )囲碁界では知らない人はいないって一族です。
その本因坊家が相生町に住んだのはほんの10年程ですが、実はこの町名も本因坊家にちなんでついたものです。
囲碁の真髄は相手と共に上達しなければならないところから並んで育っていこうという意味、そして、ともに老いる「相老」を兼ねた意味が由来だそうです。

さて、その相生町の一、二丁目のブロックは碁盤の目にちなんで一ツ目、三、四、五丁目は二ツ目と呼ばれました。そして、その一ツ目の入り口にかかる橋を一ツ目の橋、または一ノ橋と呼び、二ツ目の入り口にかかる橋を二ツ目の橋、または二ノ橋と呼びました。
そうなんです、この名前は今も残ってますよね。一ノ橋から五ノ橋までは堅川に架かる橋として現存していますし、亀戸には五ノ橋通り商店街なんてのもあります。
三ツ目通り、四ツ目通りも当然その名残りでしょうね。本因坊家が住んでいたのは一ツ目、二ツ目周辺だけなんですが、三ツ目、四ツ目、五ツ目も、その後つけ足しされたんでしょうね。
ちなみに現在、一ツ目通りは一ノ橋通り、二ツ目通りは清澄通り、三ツ目通り、四ツ目通りはそのまんま名前を引き継いで、五ツ目通りは明治通りになっています。(地図を見れば解るとは思いますが・・・)
ねっ、そう考えるとSエリアと囲碁って関係あるでしょ。道路が碁盤の目に見えてきますよね。おもしろいですよね。

そういえば、碁盤の目の代表格の街といえば、京都、札幌。やっぱり通りの名称って数字で表されてますねえ。
京都は南北ですけど、一条通り、二条通り・・・って続いていきますし、札幌も北一条、北二条・・・南一条通り、南二条通り・・・
うーん、囲碁と関係あるんでしょうかねえ。・・・・・・・・やっぱり関係ないでしょうね。

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