| ■第46回 『両国ミステリースポット』 |
| 02年09月11日 |
- 残暑厳しい日が続いています。そこで今回はちょっと時期遅れですが、夏らしく背筋が凍るような話です(まあ、それほど恐くありませんが)。
- 両国という土地は相撲の聖地ということで、神聖なところというイメージがありますが、どうも私の中ではそれ以外のイメージもあるんですよね。たくさんの霊がさまよってるちょっと恐い土地のイメージ。
- 実は両国にはたくさんの人のお墓があります。それはちょっと大きなお寺の墓地あたりとは比べ物にならない規模の量です。
- 両国にそんなに大きな霊園なんかあったかなって思う人も多いでしょう。あるんです。
- 横網公園の東京都慰霊堂と回向院。そして、お墓という訳ではないけど、本所松坂町公園。
- 東京都慰霊堂と回向院はたくさんの人のお骨が埋められています。そして、松坂町公園は、あの忠臣蔵で有名な吉良上野介の屋敷跡です。
- まず、東京都慰霊堂の話をしましょう。以前、第43回『人形町とランチの女王』と第45回『東京都慰霊堂のお好み焼き』とでもちょっと触れましたが、もう少し詳しく書きますね。
- ここは元々旧陸軍被服本廠跡だったのですが、大正時代、東京市(当時はまだ市でした)はここに公園を建設するために工事をはじめました。ところが関東大震災の時、逃げ場を失ってここに避難した人のうち4万人がここで亡くなりました。そこで市では、これらの遺骨と市内各地で火葬した遺骨を合わせた5万8千人余の遺骨をこの地に安置しました。
- その後、太平洋戦争の被害者もここに埋められます。関東大震災、太平洋戦争、その全てをあわせると約16万3000人の方の遺骨がここに眠る計算になるそうです。
- そういう訳で、以前第43回『人形町とランチの女王』の話でも書きましたが、私は、夜中にあそこで缶蹴りはできません。
- 次に回向院。こちらは江戸時代の話です。
- 1657年、江戸の街の6割を焼き尽くした大火事がありました。10万人以上の死者を出したこの火事は、明暦の大火、俗に振柚火事と呼ばれてます。幕府はその死者の多くを両国に埋葬しました。そしてそこに建てたお寺が回向院なのです。
- その後、江戸の全ての無縁仏もここに埋葬されるようになります。獄死した人や行き倒れなどもここで葬られます。
- また、後に起こった安政の大地震、関東大震災の死者の一部もここに埋められています。
- まあ、江戸時代から続くのでどのくらいの数か知りませんが、ここにもかなりの人数のお骨が埋められとことになります。
- 最後に、松坂町公園。先ほども書きましたが、ここはあの吉良上野介の屋敷跡です。ここで亡くなった人は、数からすればそれほど多くはありませんが、赤穂浪士との壮絶な戦いがあった場所です。怨念みたいなものが渦巻いてる気がしませんか。現に、ちょっと霊感の強い知り合いを連れてここを訪れると、嫌がりますねえ。もっとも私は鈍感なのでぜーんぜんわかりませんけど。
- そんな訳で、両国という土地には本当にたくさんの人のお骨が埋葬されているんです。そう考えると、ちょっと恐いですね。
- ただ、街自体はそんな雰囲気を感じさせる場所でもないし、お骨自体は他の土地に移されているのかもしれませんね。私は鈍感だからよくわかりません。
- でも、両国を訪れてそんな感じを受けても忌み嫌わないであげてください。
- 災害や戦災でなくなった方たちが悪いわけではありませんから。供養の気持ちで接してあげてください。
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