| ■第51回 『伊能忠敬の地図』 |
| 02年11月19日 |
- 伊能忠敬って人、知ってますか。歴史の教科書なんかに出てきますよね。日本地図を作った江戸時代の人です。
- では高校時代の歴史の時間を振り返って伊能忠敬の話を少しします。伊能忠敬は門前仲町でお酒の製造業を営んでいました。しかし、49歳で家業を息子に譲り、隠居の身となった彼は天文学の世界に入っていきます。日本各地の緯度を測るために天体観測をして各地を旅しますが、その副産物として出来た各地の地図を幕府に提出します。その出来があまりにも良かったので、幕府のお抱えとなって全国地図を作るようになっていったんです。
- だから、最初から地図を作ろうと思ってた訳じゃないんですね。
- なぜ、日本各地の緯度なんか測ろうとしてたかと言いますと、その当時、地球の大きさってどのくらいなんだろうかというのが、日本の天文学の世界では話題になってたんですね。緯度と距離が解れば、計算上、地球の大きさが分かるんですね。それで、伊能忠敬はある地点からある地点までの距離とそれぞれの緯度を調べたんです。ここらへん、ちょっと難しいですね。つまり、扇方の中心角と円弧が解れば円周の長さは計算できるって事です (うーん、かえってややこしくなっちゃったかな) 。彼は最初自宅の近所の緯度と距離を測ってたんですが、小さい範囲だと誤差が出るという事で北海道まで計測しに行っちゃったんです。その結果、北海道と東北の地図を作るはめになっちゃったんです。
- ちなみに伊能忠敬が図った近所の地域っていうのは、門前仲町の自宅から浅草までだったんですが、この行程を毎日歩測で調べたそうです。毎日その距離を歩いたんですから、大したものです。ただ、おかげで最近はこの道が観光ルートっぽくなってきました。先日も「伊能忠敬の歩いた道」と称して、どこかの歩く会の人がぞろぞろ歩いていました。こういったことが少しでも町興しの役に立っていくのかと思うと、ちょっと嬉しいですね。
- さて、彼の作った日本地図を江東区立深川図書館で現在展示しています。もともと原画は正本と副本があったんですが、正本は明治時代に皇居の大災で焼失、副本も関東大震災でなくなっています。ですから、展示してあるのは写しですね。しかも、多分印刷物でしょう。でもそんなものでも十分その精度の深さは伝わってきます。見応えありますよ。縮尺によって、大図(地域図)、中図(広域地域図)、小図(全国地図)と3つほどの種類の地図を彼は作っているんですが、そのうちの全部で20枚ぐらいが見られます。無料ですし、ちょっと寄ってみてもいいかと思いますよ。少なくても私は、江戸時代にここまでの地図を作った人がいるのかって思うと感動しちゃいました。12月1日まで開催しています。
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