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元さんのとっておき
■第71回 『握り寿司発祥の地』
03年09月11日
昔は子供の好きな食べ物、BEST3といえばカレー、ラーメン、ハンバーグでしたが、今の子供に一番人気があるのは寿司と焼肉だそうです。贅沢になったもんです。
まあもっとも昔と違って、回転寿司やチェーン店の焼肉屋さんなどの手頃な価格の店が浸透してますからねえ。
でもやっぱりお寿司っておいしいですよねえ。トロの握りなんて想像しただけでよだれが出てきそうですよね。
そんなお寿司の発祥の地ってどこだか知っていますか。両国なんですよ。今回はそんな話です。

寿司はもともと保存食として東南アジアで生まれ、中国を経て、稲作とともに弥生時代に日本へ伝えられたと言われています。
まあそんな大昔のことですから、現在の握り寿司とは全く異なる食べ物だったんでしょうね。
当然、冷蔵庫なんてありませんから、腐らせないために魚と塩、米粒を自然発酵させて、天然の酸味を味わう、そんな食べ物でした。味わうためというより保存食の意味合いの方が強かったんですね。
現在でいうと琵琶湖周辺の特産となっている「鮒すし」が似てるそうです。
その後、日本に渡った寿司は技術革新がされ変化していきます。
製造日数が短縮されます。寿司を作るには発酵させるため、できあがるまで何ヶ月もかかりました。しかし酢を使って一夜でできるようなものが作られるようになります。
形状も変わっていきます。のり巻、押し寿司、稲荷寿司などに人気が集まるようになります。

江戸時代の後期、それでも短気な江戸っ子のためにもっと手軽に作れる寿司を考案した男がいました。華屋与兵衛(花屋與兵衛と書く説もあります。)という男です。
与兵衛は、はじめ蔵前にあった札差(米の受け取りを代行する職業)の手代でした。
札差ってのは結構やくざな職業だったみたいです。おかげで、ずいぶんと遊びもおぼえたんでしょうね。やがて贅沢が高じて身代をつぶしてしまいます。
いろいろと商売がえをしますが、何をしてもうまくいきません。そんな中、考え出したのが握り寿司でした。
墨田区横網に住んでた与兵衛は売り歩きから始め、屋台で売るようになります。これが大ヒットを飛ばします。
手軽に作って、つまんではサッと口に放り込むというスタイルが江戸っ子の気性にあってたようです。
最後には回向院のあたりに店を構えるまでになります。
一発あたっちゃったってとこでしょうかねえ。
でも与兵衛ってけっこう創造力のある人だったみたいで、それが成功の秘訣だったようです。
当時、高級品だった山本山のお茶をあがりに使って客寄せをしたり、シャリとネタの間にわさびを入れて味にアクセントをつけたのも彼が最初に考案したんだそうです。

まあ、江戸前寿司っていうと握りが一般的ですからね。東京の人間にとっては寿司のルーツは、華屋与兵衛だって考えてもいいのかもしれません。
ただ、寿司って当時は庶民的な食べ物でしたから、正確な記録があまり残っていないそうなんです。
握り寿司の考案者に関しても諸説あるようなのです。ただ一般的には華屋与兵衛説が定説になってるようですけどね。

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