下町探偵団ロゴ万談ロゴ下町探偵団ハンコ
東京下町Sエリアに関連のある掲示板、コラム・エッセイなどのページ
 トップぶらりグルメくらしイベント交通万談 リンク 


元さんのとっておき
■第93回『下町のパナマ運河(後編)-小名木川編-』
05年11月11日
荒川ロックゲートについての各種の宣伝媒体をみると、「隅田川と荒川が小名木川でつながる」なんて書いてある場合を度々みかけます。
何度も書いてますが、厳密に言えば荒川は小名木川とつながっている訳じゃありません。荒川とつながっているのは旧中川です。ちょっとしか旧中川は通らないから省略しているのかもしれないけど、なんで小名木川を強調する書き方をするんでしょう。
これって少からず小名木川の歴史が関連してるからだと思うんですよ。なぜなら小名木川って、昔の深川地域や江戸の街にとってけっこう重要な川でしたから。

「隅田川と荒川を結ぶ小名木川水運が復活」なんて記事も見ますねえ。実はね、以前は荒川と小名木川はつながっていたんですね。
その昔、葛西あたりから船橋にかけての地域は鎌倉時代から塩を作っていて、統治していた北条氏に年貢としても納めていました。そして徳川家康も江戸に入った時、この地域には注目し、かなりの投資をして保護するようになります。昔は塩って大事でしたからねえ。
家康は、まず塩の生産地から江戸城までの輸送ルートをつくります。
小名木四郎兵衛という男が、それまであった川を輸送用の水路として整備するよう命じられます。おわかりかと思いますが、そうしてできたのが小名木川です。
小名木川は江戸でもかなり最初の頃にできた運河です。それだけ家康が重要視していたのがわかりますね。確か、江東区では一番最初にできた運河じゃなかったかなあ。
もちろん川の名前の由来は小名木四郎兵衛の姓からということですね。まあ異説もあるんですけどね。
小名木川は隅田川から始まって、現在の荒川まで通じていました。荒川に出るとその対岸には、今でもありますが新川という川があります。この川は旧江戸川を経由して行徳まで通じています。だから小名木川と新川をあわせて行徳川とも呼んでいたんですよ。このルートを使って行徳の塩が隅田川まで運ばれていたんですね。
またそんな用途もあったために小名木川は塩の道という俗称もあったんです。
こうして隅田川まで運ばれた塩は永代橋のあたりから西へ伸びる日本橋川をさかのぼって江戸城方面に運ばれていました。

塩の運搬で栄えた小名木川でしたが、徳川家光の時代になると関西方面からも塩が運ばれるようになり、塩の道としての役割は終えます。
しかし、この川は次に北関東や東北からの物資の輸送路として栄えてくことになります。普通、東北からの水路による輸送ルートって、太平洋を南下して房総半島を迂回して東京湾へ入ってきますよね。
ところが浦賀水道が当時は難所だったこともあって、そこを避けるために茨城県あたりから内陸に入って利根川や江戸川を経由し小名木川を通って物資が運ばれるようになるんです。まあ距離的にも房総半島をまわるより早いでしょうしね。
また観光ルートとしても人気が出るようになります。江戸から成田山詣に行く人や江戸に深川観光に来る人なんかが水路を使うようになったんです。

そして明治時代になるとさらに違う変化が出てきます。
川沿いの土地が民間に払い下げられ、大きな工場がたくさん建つようになるんです。一躍、工業地帯になってしまい、今度は工場が物資を輸送するために水路を活用するようになります。
また蒸気船が就航するようになり、より速く、そして多くの物資や人を輸送できるようになり、ひときわこの川はにぎやかになっていくんです。
明治から昭和にかけてが一番栄えたんじゃないでしょうか。一時期は、多い日で1日に千隻以上の舟が行き行き来していたそうですよ。

こんな小名木川ですが、斜陽になる時がきます。
昭和時代にはいり、地盤沈下の進行と自動車の発達などによって、小名木川と荒川をつなぐ水門が閉鎖されたのです。これで小名木川から東へ行くことはできなくなってしまいました。
こうして小名木川の長きに渡った隆盛の時代は幕を下ろすことになります。

現在の小名木川に当時の面影はありません。
でもこうしてみてみると、小名木川のおかげで深川が栄えたとまでは言わないけど、深川繁栄の一旦を小名木川が担ってる気がしませんか?

さて3回にわたって『下町のパナマ運河』というタイトルで書いてきましたが、パナマ運河に関連してたのは1回目だけじゃないかって思ってません?
実はパナマ運河にあるような閘門って、この辺りにあるのは荒川ロックゲートだけじゃないんです。昭和に入って水門が閉鎖されたって書きましたが、これも小松川閘門という閘門だったんです。
現存するものもあります。大横川を少し東に向かったところにある小名木川上の扇橋閘門。これも閘門です。やはり門が2つあって水のエレベーターのようになっています。
みんな小名木川に関連してるんですよ。
パナマ運河は太平洋、カリブ海間を航行する上で南米迂回を避けるための近道になってます。小名木川も太平洋と江戸を結ぶための、房総半島迂回を避けるための近道でした。
小名木川そのものがいろんな意味で下町のパナマ運河といえないでしょうか。
一時代を終えて、一休みしている小名木川。荒川ロックゲートの開通によって、またいつの日か活気を取り戻してくれればと私は願っています。

江東区、墨田区、中央区、台東区のネットワークサイト