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下町音楽夜話

◆第26曲◆ ホール向きのジャズ
2002.12.21
 錦糸町駅北口からほど近い、再開発で昔と随分景色の変わってしまったエリアの真ん中に「トリフォニー・ホール」はある。クラシック向けのホールということだが、色々と工夫が凝らされた現代的なホールの代表と言っても過言ではない。シュー・ボックス(靴箱)型と呼ばれるこの手のホールは、観客席のどの位置でも、ある程度いい音で聴くことができる、コンサートホールの理想形だ。東京オリンピックの頃に建てられたS区の公会堂などは、はっきり言って、10列目あたりの真ん中辺でないと、出演者が想定している音は鳴ってないと思っている。トリフォニー・ホールの様々なモダン・アートは好き嫌いが分かれようが、このホールの音は演奏される音楽を選ばない。また都営新宿線住吉駅近くの「ティアラこうとう」も魅力的なホールだ。バブルの絶頂期に設計されたのか、お金がかかっていることは素人目にもよく判る。いずれも適当と言うべき大きさの中規模ホールで、観客席はどの席でも、ステージからの距離が遠すぎず、空間としての一体感があり、大変心地良い。おそらく演奏する側にとっても心地よいホールではあろう。まあこれは勝手な想像だが。

 トリフォニ−・ホールのスタッフが言うには、最近のコンサートホールは観客席が満席に近い状態で一番いい音が響くように設計されているのだそうだ。床や壁面や天井が音に影響することは容易に想像できるが、確かに聴衆が座る観客席だって当然音を跳ね返すわけで、そこに人間が多く入ってくれば、反響も残響も全然違ってくることは、当然と言えば当然だ。観客席が空の状態でリハーサルをやらなければならないミュージシャンにとっては、低音が細いだの音がライブ過ぎるだのという納得のいかない残響音しか聴くことができないので、不満や不安が消せないようで、ミキシング卓を扱うエンジニアとなかなか妥協点が見出せないで困るものらしい。実は数年前、中野区のあるホールで、このことを実際に体験したことがあるので、ここまで書けるのだが。

 自分にとって最初の英会話の先生は、リック・オバトンというニュー・ヨークから来たジャズ・トランペッターだった。現在は日本人の才色兼備の奥様と2人の息子さんとともに中野区に暮らし、東京音楽大学で講師をしたりしながらニュー・ヨーク・ユニットというグループで活動を続けている。中野区民にとっては、恒例のクリスマス・コンサートとともに、ちょっとした有名人である。とても真面目なのにひょうきんで、誰からも愛されるタイプの人間だ。音楽に対しては本当に真摯で、素晴らしい作曲家でもある。彼がリリースした2枚のCD「トーキョー・タイム・ゾーン」と「アーバネスク」は、自分にとって宝物のように大事なものだ。またオバトンと活動を共にするピアニストで、現代音楽のピアノの世界では世界的に第一人者とも呼べるブルース・スタークは、やはり同類の人間だ。一緒にいてとても楽しい連中だが、音楽のことになると絶対に譲らない真剣さを持っている。NHKのテレビ英会話にも出演していたことのある連中なので、ご存知の方もいらっしゃるだろう。日本みたいな国で地道な活動を続けているが、演奏内容は世界的にもトップレベルだと思っている。決してお世辞や社交辞令ではない。

 この二人が演奏すると聞けば何をさておき駆けつけるが、それに加えてその日は楽器の搬送を手伝うことになっていた。リハーサル中はミキシング・ブースの中で様子を眺めていたところ、なかなか設定が決まらないようだった。そう、件の問題が演奏者を満足させなかったのだ。普段はジャズ・クラブのような小さなハコで演奏する機会が多いのであろう、自分の演奏する楽器の音は、モニター・スピーカーがなくても十分に聞こえるのだが、ホールではそうはいかない。空の観客席の椅子が中・低音部を跳ね返さず、ステージにいると随分細い音に聞こえるのだ。モニターからはP.A.から出ているのと同じ音が聞こえるが、反響に含まれる音の成分は、観客席側で聞こえるものと全然異なり、演奏者は惑わされてしまうのだ。自分も10代の頃、2度ほどステージを経験しているので何となく想像がつくのだが、全く違って聞こえるものなのだ。

 客席は結構込んでいて驚かされた当日の夜、かなり不満をもって本番に臨んだようだが、客席で聴いたその音は、それはそれは素晴らしいものであった。彼らの演奏するジャズは、典型的なバップ・スタイルではあるものの、何か違うものを感じさせる。現代音楽が本職のスタークが弾くピアノのせいか、オバトンの人格のなせる業か、とても上品に響くのだ。さらに言うと、ジャズ・クラブのような小さなハコで聴くよりも、前述のような現代的なホールで聴きたいタイプの音楽だ。黒人大衆芸能としての起源を持ち、進化を続けてきたジャズの王道を愛するコアなファンが求めているものとは、ベクトルの向きが少し違う彼らの音楽は、実はジャズの未来形なのか。「年寄りの昔語り」に陥っている、昨今のジャズ界に物申すように聞こえる彼らの音楽から、当分は目が(耳が)離せない。サンタクロースのように、人々にハッピーな気分をもたらす、この連中のクリスマス・コンサートは、ずっと続けてほしいものだ。