- 江東区あたりの下町は、流すようなスピードで走って快適な道はあまりない。既成市街地の渋滞だらけの道はあまり褒められたものではないし、運河の護岸をクリアするために盛り上がった太鼓橋が多くて、どのみちスピードは出せない。一方で臨海部の道は、幅も広く走りやすいが、大型が多い上に必要以上にスピードが出てしまっていけない。流すようなスピードで走って心地良い道路はなかなかないものだ。常に音楽漬けの生活をしている自分も、ずいぶんと音楽の聴き方は変わってきた。以前は、数少ないLPレコードを繰り返し、慈しむようにして聴いた。数が増えてくると、カセットテープなどに編集して好きな曲順で聴くのが楽しくなってきた。特にクルマのなかでは、こういったテープが重宝した。気に入ったテープができたときは、つきあっていた女の子にあげてしまうこともあったので、あまり手元には残っていない。最近ではクルマの中でも、編集したCD−Rを楽しんでいる。自分にとって、クルマと音楽は切っても切れない関係であり、カー・ステレオから流れるBGMは景色と結びついて、様々な時代の記憶を形成していたりもする。
- もう15年も前のことになるが、湘南の海岸沿いを走りながら聴いたブルース・スプリングスティーンの「トンネル・オブ・ラヴ」は忘れられない一枚となった。当時はもちろんカセットテープの時代だ。本当に自分の好きな曲を、あれこれと並べ替え、自分なりのセレクションズ・テープを蓄えていた。中にはどうしても繰り返し使う曲もあった。カンサスの「ダスト・イン・ザ・ウィンド」やザ・ポリスの「エヴリィ・ブレス・ユー・テイク」、ティモシー・B・シュミットの「ソー・マッチ・イン・ラヴ」などがその代表格だろうか。それらと並んで多く登場していた曲に、ブルース・スプリングスティーンの「ダンシング・イン・ザ・ダーク」がある。この曲が収録されたボーン・イン・ザ・U.S.A.というアルバムは、いずれも捨て難いほど名曲ぞろいで、ほとんどの曲を、編集テープに使ったものだ。当時はタイトル曲の歌詞が曲解され、アメリカ賛歌のように言われたが、本人はちっともそんなつもりはなかったようだ。
- そして、こういったメガ・ヒット・アルバムの次は難産になるのが常だが、彼も同様であったようだ。割と早い時期にリリースされた次作が、「トンネル・オブ・ラヴ」だった。自分はこのアルバムを即刻購入して、繰り返し聴いた。最初は前作と同様のものを求めてしまうので相当がっかりしたが、おそらく時間が経てば好きになるなという予感が最初に聞いたときからしていたので、しばらく放置しておいた。それまでのように、格好いいリフと文句なしのE・ストリート・バンドのバックアップはそこにはなかった。その代わり、コード弾きのギターと、感情を込め過ぎた嫌いのあるヴォーカルに、装飾のない簡単なリズムをつけただけのシンプルな曲が延々並んでいた。そして予感は的中した。結果的にあることがきっかけで、数年間聴き続けることになったのである。
- 自分は1985年に就職し、一年後に大学の同級生だった女性と結婚した。資産家のお嬢様で自分とはかなり違った金銭感覚を持っていたことが唯一不安ではあったが、相手と相手の家の強い希望で、落ち着いて考える間もなく結婚してしまった。当時は法曹を目指して勉強を続けていたのだが、あまりに生臭い世界が自分に合わないような気がし始めていた。しがないサラリーマンの少ない給料でも、自分次第では楽しく暮らせることを知ってしまってからは、急速に司法試験に対する情熱は冷めて行き、夫婦の関係も同じ線を辿った。当時はバブル経済のまだ登り段階でクレイジーな世の中だった。彼女は自分の倍以上の月給を手にしており、毎月、彼女の洋服代は10数万円に達していた。彼女の父親が、娘に苦労はさせたくないと言って、札束を積み上げ、キャッシュで買ってくれた3000万円のマンションの評価額は、一年半後には1億円になっていた。全てが狂っていたような世の中だった。そしてある日「司法試験はもうやめようかと思う」と言ったところ、「私は弁護士の妻になりたかった」という言葉でとどめを刺され、その5日後には自分がオンボロ・ルノー・サンクとともに家を出た。そういえば、このクルマを買うときに比較検討したクルマの中には、中古とはいえフェラーリもあった。本当に時代に狂わされていたのだと思う。当時「自分にフェラーリは似合わない」と思えて良かった、と今ではしみじみ思う。
- 彼女と行った最後のドライブは湘南だった。先のことなど考えるのも嫌になっていた時期で、編集テープは大量にあったが、貰い手はなくなっていた。そして渋滞のなかでそんなテープに聞き飽きた時に、ダビングしておいた、「トンネル・オブ・ラヴ」をかけてしまった。渋滞が解消しても延々と「トンネル・オブ・ラヴ」は流れていた。帰宅を急ぐ訳でもなく、流すようなスピードで走っているときに、妙にシンクロしてしまったこのアルバムは、自分の意識をアメリカの大地を行き交う、インターステイト・ハイウェイに誘い、全く別の新しい世界の存在と新しい可能性を示唆していた。もう夫婦関係は完全に冷え込んでいたと思うが、帰途、自分は清清しい笑顔だったと思う。
- 最近、湘南には行かない。今の自分には、さして意味のない場所である。そして編集したCD−Rは、純粋に自分が楽しむために作ってあり、当時とさほど変わらない曲たちが並んでいる。「トンネル・オブ・ラヴ」は、今は全く聴かなくなってしまったが、ちょっと思い迷うことがあるときなど、時々メロディを思い出すことがある。トンネルを抜けた先は、期待していたとおりの場所に出ることもあろうが、そうでない場合もあろう。人生なんてそんなものだろうと思っている。いろいろあるのだろうが、どんなに暗くて長いトンネルでも、出口は必ずやってくる。そう、そこが望んだ場所ではなくとも、必ずやってくるのである。そして大抵の出口は望んでいた場所に繋がっている。
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