- イエロー・ブリック・ロード、すなわち黄色いレンガ道はオズの魔法使いに出てくる希望の道だが、エルトン・ジョンは1973年に「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」と題する2枚組のアルバムを大ヒットさせた。当時リリースするシングルが全てヒットする状態で発売されたこのアルバムは、爆発的に売れはしたものの、中身について語ることは皆が避けたような印象を覚えた。評論家も理解できなかったのかとも思うが、結構暗い内容の歌詞や、ハリウッドの王道に決別するようなタイトル曲の歌詞の内容が、どう評していいのか判らなかったのかも知れない。アートワークの素晴らしさばかり褒められていた。自分はまだ、電波の入りが悪いラジオ関東で放送される全米トップ40などを、モノラルの小さなラジオにかじりついて聴いていた中学生のころで、その内容まで理解できる年齢ではなかった。
- シングル・ヒットした「ベニー・アンド・ザ・ジェッツ」は今でも彼の曲の中ではフェイヴァリットであり、出だしのピアノのフレーズは何度聴いてもゾクゾクするほどに格好いい。また「土曜の夜は僕の生きがい」は、自分をポップスからロックに向かわせた要因にもなる重要曲であった。そしてタイトル曲は20世紀の音楽史に名を留める名曲である。おそらくスタンダード・ナンバーの仲間入りをするのであろうが、オリジナルを超えるカヴァーをつくることが難しいのか、そういう認識はされていないようだ。しかし名曲中の名曲として貫禄十分の一曲である。
- また1997年にイギリスのダイアナ妃が亡くなられた折に追悼曲として歌われた「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」も、このアルバムの収録曲である。歌詞の出だしが「グッバイ・ノーマ・ジーン」というように、マリリン・モンローに捧げられたものがオリジナルである。全くもって色あせない名曲だらけのアルバムなのである。しかもこのアルバム、2枚組なのに1枚ものと同程度の値段で発売されたのだから、今にして思えば売れて当然という気もする。
- この時期、エルトン・ジョンの主要な曲の歌詞は、相棒のバーニー・トウピンが書いている。しかし彼はエルトン・ジョン・バンドの一員ではない。このバンドはデイヴィー・ジョンストンやナイジェル・オルソンなどをはじめとした、名うて揃いのスーパー・バックバンドである。その中でもパーカッションのレイ・クーパーの存在が際立っている。個性的なルックスもそうだが、人間関係におけるバンドの要として機能していたと思われる。ポピュラー・ミュージックの世界で活躍する人間のバックバンドにしては、あまりにも格好よすぎるロックバンドである。ルックスは十分いいとしても、バーニー・トウピンの居場所がないことは頷けてしまう素晴らしいバンドなのである。
- バーニー・トウピンは1970年代に数枚のソロ・アルバムを発表しているが、世紀末も近い1996年になって、いよいよ自分のバンドを結成し、実に彼らしい地道な活動を開始した。この「ファーム・ドッグス」というバンドは、アコースティック・ギターのカッティングをベースにしたアメリカン・ルーツ・ミュージックのような、土埃の匂いがする音楽を演っている。どこかしら懐かしさを覚えるようなこの手の音楽は、アメリカのローカル・サーキットでは腐るほどあるのだが、ヒットしたものは数えるほどしかない。皆が愛するわりに大ヒットはしない、庶民的な音楽である。
- しかし待てよ、この連中はアメリカ人ではなかった。メンバーのジム・クリーガンはブリティッシュ・ロックの古株だし、ロビン・ル・メシュリエにいたってはフランス人だ。この連中がこの音、この面白さはちょっと我々日本人には納得できないか。そういえば、アメリカというグループはどうなってしまったのだろう。あの連中のデビュー盤「名前のない馬」はロンドン録音であり、アメリカというグループ名からは想像も付かない、イギリス的な湿気の多い音を出していた。つまりファーム・ドッグスと裏返しという訳だが、他にもこういう例はあるのかも知れない。全く器用なものだ。
- ファーム・ドッグスと聞いて、バーニー・トウピンの名前を思い浮かべる人間は少ないかも知れない。しかしこの男は、ことある毎にファーム(農場)に戻るのだ。「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」でも、「バック・トゥ・ファーム」という歌詞が出てくる。この場合のファームとは、イメージ的に欲望渦巻く音楽界の対極にある、心を落ち着かせる場所という程度のニュアンスで使われている。多くの成功したミュージシャンが、申し合わせたようにファームを持ち、コンサート・ツアーの合間に土を耕し、家畜の面倒をみて過ごしているということを思い出すと面白くてならない。
- 都会の下町で暮らしていると、農場とはたまに遊びに行くにはいいところ、という程度にしか判らない。その日常は、決して楽なものではないだろうが、イメージとして華やかな音楽界と行き来する場所としては理想的なのだろうか。しかしミュージシャン連中のそれは、誰かに手伝わせているであろう農場であって、まさか兼業農家ではあるまい。日常的な重労働という辛さがない状況で、農場の仕事が体験できるのであれば、それはそれで結構なことだろう。
- 所変われば、犬は忠実で働き者のパートナーであり、友である。「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」では「社交界の犬ども」という言葉で、卑怯者の象徴として登場するが、犬に申し訳ないと思ったか、このグループ名は単なる自己卑下の意味ではないようだ。バーニー・トウピンの「農場の犬」は、落ち着くところを見つけたような安堵感に満ち溢れている。大ヒットなどしなくてもいい、イエロー・ブリック・ロードとは違う価値観の中で、永く活動を続けて欲しいグループである。
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