- その日は、朝から嫌な予感がしていた。目が覚めたときからジトーッとした汗をかいていて、非常に不快な目覚めだった上、予定を変更するために友人がかけてきた電話で起されたのだ。自分はどちらかというと几帳面な性格のほうなので、予定が変更になることは好きではなかった。今でも好きではない。ものごとは予定通りに運んだ方がいいと思い込んでいる。とにかくそんなわけで、その日は気分が悪いまま出かけるハメになってしまった。
- コンサートに行くときは大抵公共交通機関で行っていたが、その日はどうしてもクルマが必要になり、慣れない中野サンプラザまでクルマで出かけることになってしまった。サンプラザの駐車場は意外なほど入り易く、コンサートにも十分すぎる程の余裕を持って到着することができた。どうもコンサートに駆け込んでいったり、何曲か聴き逃したなどというのは嫌なのだ。食事を済ませ、余裕を持ってコンサートに望むのが最も望ましい。分析するかのようにじっくりと観る方が好きなのだ。あまり飛び跳ねたり、頭を振ったりということもしていない。リズムくらいは取るが、じっくり観ることにしている。
- その日のコンサートは松岡直也のものだった。グリコのカフェオレのCMに起用され、アルバム「マジェスティック」はかなりヒットしていた。紙パックのカフェオレ型のシェイカーを観客みんなに配り、総立ちになってシャカシャカやったものだ。7月の暑さも相まって、普段以上にはしゃいだことは事実だ。日本を代表するラテン系の名手たちが繰り出すリズムに、自然と体が動いてしまう。直也さんの人柄は温厚そのものだが、コンサートは当人の意に反しているのではと思うほど派手派手しく演出がされていた。珍しくクラクラするような状態でサンプラザをあとにしたものだ。
- 問題はその同行した友人を送り届けてからの自分だった。とにかく疲れていたのだ。友人の家はそもそもがかなり入り組んだ細い道を進んで行ったところにあったので、その辺の道を走るのは好きではなかった。ところどころ庭木が茂り、道路側にかぶさっていて、標識を見逃しそうになったり、信号が隠れそうになっているところさえあったし、古い商店街の奥なので、自転車の往来も多かった。一方通行ばかりで、いつもはグルグルと左折を4回繰り返して、太い道に出るのだが、その夜はいつも通る道が駐車車輌でふさがれており、何があっても通りたくないと思っていた暗い裏道を走るハメになってしまったのだ。その通りは、初めてではなかったが、方向感覚さえ失わなければ問題ない道ではあるが、見通しの悪さといい、道幅の細さといい、何とも嫌な道なのだ。
- 下り坂をゆっくりと進み、大通りまであと少しというところにお稲荷さんがあった。小さな交差点の右手前方にあるそのお稲荷さんは普段は真っ暗なのだが、その日は白いのぼりのような旗が何本も立っているのが視界に入った。自分は前方の歩行者の方に集中するようにしていたのだが、まさにそのお稲荷さんの角に差し掛かったところで、ことは起きた。その歩行者がいきなり振り向いて自分の車に向かってきてしまったのだ。縦の道も横の道も車が一台ようやく通れるような細い道だから、スピードは出てはいなかった。ブレーキを思い切り踏んだのだが、ほぼ同時にドスンという衝撃があった。白いコートを着た中年男性の顔がハッとした表情で目に入ったところで、一瞬視界から消えた。
- クルマをその場で停め、慌てて降りていき、まず謝らねばとドキドキしながらクルマの前にまわりこんだ。そしてその瞬間、凍りついた。誰もいないのだ。クルマの下に潜り込んだかと思い、両手両膝を地面につけて下回りも見てみた。しかし何もない。車の周りをグルッと一周して交差点の中に立って四方向を見たが歩行者は誰もいない。汗が噴き出してきた。そのとき、若干下り坂になっているその道を、自分が来た方向から一台の自転車が近づいてきた。近所のおじさんという風情のその男性は、不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。当たり前だ。交差点の真ん中でクルマを停めて立っているのだ。
- おじさんは自分と目線を合わせながら近づいてきた。通り過ぎる瞬間に、「どうしたー、白いコートの男でも見たかあ?」とせせら笑うように言ったのだ。自分が「えっ」と大声を出したものだから、おじさんは自転車のブレーキをかけ、跨ったまま振り向いた。そしてさらに「ここらへんは出るぞー。むかし結核病院だったんだから。」と笑いながら言ったのである。自分は「いや、人とぶつかったと思ったんだけど、誰もいないんですよ。」と告げたのだが、おじさんは「おいおい、誰もいねえぞ。オレは後ろから見えてたんだから。お前、大丈夫かあ?」と言ったのである。
- もう一刻も早くその場から立ち去りたかった。よくよく考えて見れば、コートを着た男が歩いているような季節ではない。真夏なのだ。でも確かに白いコートを着ていた。しかしそのことをこの男に言っても笑われるだけだと思った。疲れていたんだ。派手なコンサートを観たあとで、目が疲れていたんだ。しかし、ぶつかりそうになった瞬間、ボンネットの上に両手を置くようにして、目を見開いた顔は確かに見えたのだ。そして、ドスンという嫌な音。勘違いや見間違いのはずがない。しかもハッと目を見開いたその痩せた顔が、直也さんが眼鏡を外したかと思ったほど、非常によく似た風体だった。一時間ほど前まで、直也さんの力ない笑顔を眺めていたのだ。瞬時に瞼へ焼きついたものだ。
- その後、誰に話しても笑われるだけだった。しかし1988年の夏以降、自分はその場所に近づかないようにしている。そしてそれ以来、意に反して裏道を走らざるを得ないときは、思い切り慎重に運転するようにしているのであった。
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