- ボブ・ディランの紙ジャケットCDが14タイトル発売になった。超有名盤ばかりだが、それでもまだまだ満足のいく枚数ではない。「どうしてあのアルバムは発売されないんだ?」などというオジサンたちの不満があちこちから聞こえてきそうだ。自分も聴いてみたいと思っていながら買いそびれていたタイトルがあるので、丁度いいタイミングとばかりに「追憶のハイウェイ61」をはじめ数枚入手した。予想外に安い価格設定に関しては、何だかなあと思いつつも(ある程度売れることが想定できる盤でこの価格なら、他の盤はもっと安くてもよかろう)、精巧なミニチュアを見るようなジャケットの、紙の質感まで再現されていることに感心しきりである。ここまでできるのであれば、他のタイトルもみな発売すればいいだろうにと欲が出る。とにかく、今回のシリーズは、ボブ・ディラン本人が日本国内のみ特別に許可を出したということで、海外では入手できないのだそうだ。世界的に紙ジャケット人気が沸騰いるときに、危ういことをするものだ。コレクターズ・アイテムになって、海外で法外な高値で取引される様が容易に想像できるではないか。
- 通常コレクターズ・アイテムというと海賊盤を指すことになってしまう。コレクターしか買わないような劣悪な音質のものも多いので、そのこと自体に異論はない。しかし実際のコレクター市場では、公式に発売されたもので枚数が少ないものや、後々有名になったミュージシャンの無名時代のものなど、正規に発売されたものも多い。いずれにせよ、希少価値という要素は否めないが、最近の国内ミュージシャンのCDでも初回盤のみ紙ジャケットやデジパック仕様だったりするので、将来を見越してのことなのかとちょっと鼻白んでしまう。何か儀式のようにもなっていて、初回盤から何万枚もプレスするような人気アーティストのものまで、そういうことになっているので、奇妙に思わなくもない。ファンなら初回盤を持っているべきとでも言うことか。どこかで線引きをして差別化することで、ファンの気持ちを満たしているようにも思えるし、その一方で買わせるための心理作戦のようにも思えてしまう。
- そもそも1960年代頃のイギリス盤などには、初回プレスのみ音質が良いものがあるのだ。レコードの中心部に近いあたりに深い溝があったり、特定のナンバーが刻んであったりという目印で判別できるらしいが、自分なんぞはあまりそういう世界に興味がないので、買うときに盤面のチェックすらしない。まとめて何枚も買うから面倒だということもあるのだが、その微妙な音の違いにそれほどの価値を見出してないからかもしれない。なぜならいくら高音質だと言われる英国原盤の初回盤で状態のいいものが手に入ったとしても、オーディオ装置が見合うものなのか、リスニングルームはそれなりの条件が整っているのかと問われると、ノーだからである。セカンド・プレス以降のものでも、高級オーディオで聴けば、そちらの方がいい音で鳴るに決まっているではないか。ただ自分の場合、リアルタイムで聴いてきた期間が長いので、自宅のレコード棚を探せば案外初回プレスなどは何枚も出てくるかも知れない。
- それにしても最近はそういった、コレクターズ・アイテムを作り出す条件が整いすぎている。紙ジャケットのように魅力的なものもあれば、CDの音質も大幅によくなってきている。またLPに関して言えば、ネット・オークションなども盛んに行われるようになって、海外のコレクターも参入して価格は釣りあがる一方だが、これまで日本では手に入らなかったような品物がインターネット上には流通しているようだ。安レコ買いを最高の楽しみとしている自分にとっては、全く用がないといったところである。コレクター相手の商売は、想像を絶する世界でもある。
- ついでに言うと、こうした現状には大きな弊害がある。とにかくあっという間に市場から消えてしまう盤があるのだ。「完全限定盤」などという文字は頻繁に目にするので、あまりその真意を考えなくなってしまうのだが、実のところ発売直後にレコード店へ行って手に入らなかったものはいくつもある。そうしてしばらくしてから数倍の値段になった中古盤が専門店に並ぶというわけだ。全く冗談ではない。特にこれは1960年代70年代の名盤をリマスターした紙ジャケット・シリーズなどに顕著で、どのみちLP時代のものなのだからオリジナル性も低いだろうにと思うが、案外そうでもないらしい。しかしCDで一枚一万円を超えるようなものは、やはりおかしいと思ってしまう。
- 先日富岡八幡宮の骨董市をひやかしていたとき、昔の茶器揃でミニチュアのようなかわいいものを見かけた。中国の茶藝用の茶器はとても小さいものだが、日本の古来のものでここまで小さいものは珍しいなと思い、見入っていた。どうしても両手で抱えるような大きさのものしか想像ができなかったので訝しがっていたのだが、売っていたお兄さんからは明快な解説は得られず、あることはあるのだということだった。「詳しくは判らないがカワイイ」ということで、お互い納得はしたが買いはしなかった。渋めの茶器でも飾れるような立派な床の間でもあるのなら話は別だが、確かに愛でる品としては小さなものの方が好ましいことは理解できる。ミニチュア本や西欧のドールハウスなど、世界中にコレクターのいるミニチュアものは多岐にわたる。中国にも、手先の器用さをアピールする豆粒のような彫り物が各地にある。軽薄短小をよしとする風潮は現代日本に限ったことではないらしい。
- レコードの世界でも悩ましいのが、この大きさなのである。さて下町は大島の皿屋敷(自分は我が家をこう呼んでいる)はそろそろ床が危うくなってきた。レコード・ジャケットはLPサイズの方が好ましく思っていたが、最近の精巧な紙ジャケットCDには、また別の魅力を感じるのだ。これは車のコレクターとミニカーのコレクターが両方ありなのと同じで、それぞれ求めているものが違うからであろうか。紙ジャケットCDは我が家にもずいぶん増えてきたが、これでさえ最近では収納場所に苦慮し始めているので、LPのサイズが恨めしくなってきている昨今である。毎度迷惑ばかりかけているつれあいに対する言い訳を、あれこれぐだぐだ考えている下町のオヤジであった。・・・トホホ。
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